いまのしゅんかん -377ページ目

コンプレックス(1)

彼とケンカした。
とはいえ、ほとんどわたしが一方的に怒ったというのが正しいが。

先日、彼は、お父さんと一緒に担当弁護士に会いに行った。
以前、ある事件に巻き込まれた関係で、奥さんはある弁護士に会う機会があったのだが、そのときついでに離婚について話したそうだ。つまり、すでにアクセプトされている同意書を変更できる可能性があるかどうかを聞いたのだ。すると、「裁判にかければ、変えられる可能性は充分あります。」
この国では、いくら男女の性差が他の国に比べて小さいとはいえ、養育権はほとんど妻側がもつのが常識。そうでなくても、夫婦間でシェアするのが一般的である。それなのに、彼と奥さんの場合は、彼が100%の養育権をもつという、まさに異例のケース。おそらく、そういう常識をかんがみて、そして、奥さんの本当の状況を知るよしもないその弁護士は、「変えられる」とふんだのだろう。
しかし、そう想像できても、彼はもしかすると養育権を失うかもしれないと不安になってしまい、しばらく眠れなくなったそうである。
奥さんは、出産後、「養育できない」といって、働いてもないのに、夫に養育をすべて託してしまったような人である。養育権など欲しいわけもない。100%養育権に固執している彼に対して、これ以上の資金援助を要求するための切り札として、「養育権」を利用しようとしたのである。

結局、担当弁護士いわく、
「すでにサインもした同意書を変えることなど、よほどの落ち度がない限りはほとんど不可能。」。
ついでに言えば、奥さんはわたしたちが彼の家に行くこともずっと文句言っていたそうだが、
「セパレートは、ほとんど離婚と同義だから、妻から一切の要求をすることは認められない。お互いに何をしようと干渉することはできない。」のだとか。

この話を聞いて、わたしもようやく「セパレート」の意味がわかった。
わたしは、セパレートとはいえ、「婚姻関係」は継続しているものと思っていた。離婚するかどうかの判断期間だと思っていた。
だけど、実際には、「セパレート」は、他の人と結婚できないということ以外は、離婚と変わらないのだそうである。
だから、逆にセパレート期間中は、3ヶ月以上の同居は、婚姻関係復活とみなされて、セパレートが認められなくなるそうである。すなわち、また1からのスタートになってしまうのだ。
それで彼は急遽、ご両親宅にしばらく移り住むことを決めたのだが。

同時に、わたしは納得いかないきもちが大きくなった。
セパレート後は、経済も分かれなければならないのに、家賃、光熱費などすべての住居費を彼がもっている上に、彼女のしばしばの無心にも応える始末。
いったいセパレートしているというのはどういうことなのか。

それで今週の水曜日。
「彼女に、クリスマスプレゼントで6,000円の携帯をプレゼントした。」
という彼のセリフに、
「なんでセパレートした妻にクリスマスプレゼントとしてあげたの?」
とてつもない怒りがこみ上げて、大ケンカに至ったのである。

リース

保育園で飾るためのリースを作製。
画用紙で葉の部分を作り、ビーズでちょっとした飾りを。
時間がないというのに、ちまちま葉を模り切って貼っていったしろもの。
でも、こういうことをするのが好きなのです。

クリスマスカレンダー(2)

 
小さなプレゼントは、彼のお父さんにいただきました。
24個分も。

何が入っているかはともかく、プレゼントってだけでわくわくする。
毎朝開けるのが楽しみ。

クリスマスカレンダー

 
今日から12月。
この国では、「クリスマスカレンダー」という習慣があり、12月1日から24日間、毎朝小さなプレゼントをもらえる。

これは、娘が保育園で作ったもの。
24個の扉があり、毎朝その日の扉だけ開けるというもの。

こうして、冬至に近く、暗くて日の短い12月を、わくわくしたきもちで過ごせるように、知恵をふりしぼった結果のひとつが、この習慣がはじまったゆえんといえよう。

地震と国民性

先週の金曜日、英語クラスでプレゼンをした。
取り上げるテーマは任意で、前回も日本のことをネタに話したのだが、どうも内容が散漫で話しにくかったので、先月新潟で大地震が起きたこともあり、地震について発表することに決めていたのだった。
地震のメカニズムや被害の大きさの原因について話すのがメインだったけれど、本当に話したかったのは、「自然災害がもたらす国民性への影響」だった。

どうして、日本人は、個人よりも組織を重んじるのか。

日本にいたときにも多少感じていたことではあるが、こちらの国にきて、一層日本の特異性というものを感じるようになった。
なんといっても、こっちは干渉されることがない。
みんな違う価値観で当たり前。同じデパートメントにいるゲイの人ですら、それを意識しないほどみんなが普通に受けとめていることに日本との違いを感じた。
日本では、そのひとの考え方をまず理解するよりも、ありきたりな一般論でアドバイスしようとするひとが多い。
ちなみに、彼は、わたしとつきあいはじめて3日後には親戚知人すべてに告白したそうだ。
保育園でも、わたしたちの関係をかなりオープンにしてるし、彼のご両親などはわたしがまだ結婚しているというのに、義理の娘のようにかわいがってもらっている。
けれど、わたしは、よほど仲のいいひとにしか打ち明けていない。

それがいいとか悪いとかではなく、
そういう国民性には、かならずなんらかの必然性があったのではないか、
それが自然災害が多い国という事実が関与しているのではないか、
と考えたのである。

とにかく日本は予測しえない壊滅的な出来事が過去頻繁に起きていて、その度にみんなで協力しあって再建を果たしている。
個人のことよりも、国の再建が優先すべきこと。
大戦後(自然災害ではないが)などその顕著な例で、何よりも経済発展をさせて国力を安定させることに注力してきた。
個々の価値観など不要だったのである。

ここの国は、みんな互いに干渉しないかわりに、自己責任を強く問われる国でもある。
どうやって生きていくのか。
そんなモデルはどこにもない。
自分自身で選択しなければならないのである。
自分自身で考えて決める。
一般論なんて存在しないから、自分の考えに従うしかないのである。

わたしは、この国が肌にあうと思う一方で、将来に対する不安につきまとわれて、何度ラクに生きたいと思ったかしれない。
本当に離婚してもいいのか。。。
まったく迷いがないわけではない。
日本人的な、まとわりつくような不安。
本当に壊滅的な出来事が起きる可能性がある国に生まれ育っただけあって、なんとかして保障を得たいと思う自分がいる。

将来への不安を口にするたびに、
「そんなこと今考えてもしょうがないでしょう。実際のところ何が起きるのかわからないし。何か起きたらそのとき考えればいいし。大事なのは今のこの瞬間を生きることでしょう。」
と彼は言う。
ごもっとも。
よっぽど、彼の方が深刻な状況下にある。
案外あっけらかんとして、ひとつひとつ問題に対処している彼をみて、
こういうところにやはり日本人である自分を感じる。

ちなみに、ここの国は、地震もなければ台風もない、いたって平和な国である。
ヨーロッパの中でも、個人が尊重される革新的なシステムがとられているけれど、それこそ安全な国だから可能なこと、と思ったりする。

潜在幸福エネルギー

 
12月に試験があるのがににに憎い。
本当は、今クリスマスの準備をもっと楽しみたいのだが、、、今年は、あまり時間のかからないものをちょこちょこ作っているぐらい。

でも、この折り紙のツリー。
わたしが作っていたら、彼がこの国でポピュラーな星(日本でいったら鶴みたいな?)をミニサイズで作ることを思い立ち、最後は針まで駆使して完成させてくれました。
このひと。
わたしが何かやるとすぐ一緒にやろうとする。春巻きもお寿司もそうだし、ビーズ製作も。
本当に好奇心旺盛なんだなぁ、と思う。

彼は、「貢ぐ人」だった。
奥さんにもそうだし、前の彼女も。
でもその結果、彼女らの欲求はとどまることを知らなかった。
おいしいものを食べにいき、きれいなものを身につけ。
そんなのを延々と繰り返した。

今、英語の試験課題で「肥満の問題」についてエッセイを書いていて思ったのだが、今は食欲もすぐに満たすことができるから、かえって食べることの感動は乏しくなったような気がする。
昔は、空腹を我慢することがふつうだったから、毎回ごはんを食べる時間が楽しみだった。
今は、食べることはもう当たり前で、感動を求めるにはもっと特別なことをしなければいけない感じ。

やっぱり、得がたいから、得られる感動もひとしおなわけで。
欲求が暴走すると、かえって幸せってみえなくなってくるんじゃないかな。

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先週、彼の亡くなったおばあさんの家に行き、遺物を少しいただいてきたのだが、わたしが得たものは本当に本当にささいなもの。
まぁ、今のアパートにはもはやスペースもないので、大きなものはあえて断ったのだけれど。
でも、本当に欲しかったものをいただくことができました。
小さなオーブン、キッシュ皿、ケーキ型、古い地図、レース編み
早速、オーブンでマカロニグラタンとピザトーストを作ったのだけど、上出来。グラタンが特に好評。12月の娘の誕生日にもこれでケーキを焼く予定。

奥さんは、ベッド、食器棚、クローゼット2点、チェスト、計5つの大きな家具をもらったそうだ。
でも、今度移るアパートにはそんな置くスペースがなく、大きなアパートに移るまでは、彼のアパートの一室に、「置かせてもらう。」と。
運ぶ手間もスペースも省みることなく。

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油絵の道具。
スーパーで、2,000円ほどで売っていた。
彼は、安いからといってそれをわたしへのクリスマスプレゼントにしようとしたけれど、わたしは断固拒否した。
わたしは、安い道具で油絵を描きたくない。
耐久性が格段に違うからだ。長い時間かけて苦労して描いても、色落ちしておじゃんになるリスクがある。
ケチなわたしだけれど、1本700円の絵の具チューブを買うのである。

わたしは、本当に欲しいと思うものを欲する。
ただ安いから、もらえるからという理由で何かを得たいと思わない。
ただであっても、ものはもの。
ただであっても時間は時間。
潜在しているエネルギーをできる限りかみしめたい。

だから、二人して折り紙でツリーを作ったとき
ビーズで帽子をつくってくれたとき
グラタンをおいしそうに何度もおかわりしたとき
感じたふわっとした幸せ
そんな時間をつくっていきたい。

背負っているもの


11月に雪が降るのは、北国のこの国でも珍しいそう。
今年は本当に寒い!

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英語のプレゼンの準備
英語の試験課題
専門授業の試験の準備
新しい実験の準備

彼の奥さんが夜の仕事を辞めてから、思うように会えなくなってしまったけれど、むしろそれでよかったのかも、と思ってしまう自分が悲しい。
いや、マジで追いつかない。
毎日毎日、プレゼンの準備だの、課題をこなすだのって夜遅くまで勉強しどおし。
先週は、ようやく1年ごしのレポートが受理され、試験をパスする見通しがたったものの、英語の課題があって友達に添削してもらい、それがまたディスカッションしてまでの大幅な修正要で、半日以上かけて直したものを今週頭に提出したばかり。

2つ片付けても、まだまだやるべきことはあるんだよね。。。前々期単位がとれず、前期単位がとれなかったツケのせいだけれど。マジで3つのかけもちはツライ。修士の学生は平気でそれをこなしているのに。わたしの英語力のなさにすべての原因が。
まぁ、それでも作業はけっこう楽しくて、やりだすととまらなくてついつい1時2時までやってしまうのだが。

で、月曜日の大雪のせいもあってか、ついにダウン。
昨日は発熱しそうな悪寒に襲われ、マズイかもと思いながら娘を迎えに行ったら、すでに息子さんは引き取られていたのに、彼が保育園にやってきたのだった。奥さんが息子さんを連れて遊園地に行ったものの、彼は確信がなく一応来たのだという。それにしてもなんというタイミング。そのまま彼に支えてもらいながらバスで一緒に帰り、夕飯の支度等すべて彼にやってもらったのだった。
皮肉だけれど、日曜日にビタミンの議論をしたばかりなのに、彼が買ってきてくれたレモンをしぼって入れた水を1Lほど飲んだら、たちまちに具合はよくなり、発熱もなくなった。やっぱり、ビタミンは必要だよね。

彼は本当にやさしい。
こんなに男性に優しくしてもらったことがないので、いいのかなぁと思ってしまうほどだ。
だけど、同時に、どうして彼がここまでやさしいのか、理由もわかっている。

昨日、彼と奥さんの結婚生活の過程と、奥さんの生い立ちについて話を聞いたが、人ってつくづく、バッググラウンドを背負って存在しているんだなぁ、と痛感させられた。
つまり。。。どんなに奥さんがひどいしうちを彼にしていたとしても、彼女を責めればいいって問題ではないということ。

今ある状態には、必ず理由がある。
彼も、それはわかっていて、よく、「彼女はそう悪い人間ではないよ。」と言っていた。
もし、奥さんの、「わたしはもうあなたを愛していない。他にガールフレンドをみつけて欲しい。」というセリフがなければ、今もなお彼女のきもちを振り向かせるべく、がんばっていたかもしれない。


わたしが、勉強が楽しいと思えるのも、恵まれた環境にいたおかげなんだってこと、改めて認識している。

きもちを満たしたい

お寿司作りに挑戦している図。
 
 
わたしと彼は、よく議論する。
何かきっかけにがあればすぐに議論。
大体テレビを観ていてネタになる場合もあるし、わたしの課題がきっかけになることもあるし。
かれこれ、、、
アメリカの肥満の問題
芸術作品の値段
社会的性差の問題
若い人の性の問題
などなど。
会えば必ず議論するから、ここには挙げ切れないほど多くのネタで議論している。

価値観は近いから、それほど極端に意見が食い違うこともないが、やはり育ったバッググラウンドと性が違うだけに考え方は異なっていて、それがまた刺激になって面白い。自分自身について振り返ることにもなるし。

でも、日曜日にした議論は、どうしてもすりあわせられない、彼との差異というものを痛感させられるものだった。だからといって、もちろん嫌いになるというわけではないのだが、やっぱり話し合うことで相手を本質的に知ることになるんだな~、と。

日曜日の夜のニュースにて。
ビタミン剤を摂取する習慣をもつグループが、摂取しないグループに比べ、ガンの罹患率が10%低減するというデータが、ある医療研究グループによって報告された、というニュース。

わたしは、彼が、習慣的ではないが、気が向いたときにビタミン剤を飲んでいるのを知っている。
が、わたしは言った。
「わたしはビタミン剤を飲むことは好きじゃない。」

案の定、過敏に反応した彼が、反論をまくしあげ、いつもになく激しい論争を繰り広げた、というわけ。

彼の意見の概要としては、
「ビタミン剤の効果はある程度認知されているのに、何故拒否するの?だって普通の薬と違って副作用もないんだよ。飲んだって害にならないじゃない。」

それに対してわたしの意見。
「効果があることも害がないことも知っているよ。だけど、その行為そのものが好きじゃないの。わたしにとって、食べることは愉しみであるから。ビタミン剤を飲むことで、「食べている感覚になる」ことが好きじゃないの。食べる行為その過程が重要だと思っているから。」

一応わたしのきもちはわかったのかな。
でも、ビタミン剤を飲むことなんて、取るに足らないこと。飲んでも飲まなくてもたいした違いはない。それなのに、ここまで飲まないことに固執することが理解できなかった様子。

わたしも固執していない。
どうしても飲まないと決めているわけではない。
実際のところ、偏頭痛や生理痛があれば鎮痛剤でごまかしているわけだし。よっぽど、この薬の方が害にあるに決まっている。
ただ、「栄養剤を飲む行為が好きじゃない」と言っただけ。
言ってしまえば、やっていることと言っていることに矛盾が生じること承知で、甘いものに依存したり、鎮痛剤を飲む行為も「好きじゃない」。

多分に、わたしの生まれ育った環境が影響しているのだと思う。
わたしの母は、それこそ薬好き、栄養剤好きで、それこそ小さいときからいろんな種類の「体にいいもの」をとらされ続けていた。一時は、高いのに、ネズミ講みたいなもので売っていた「体にいい食品」を購入していたし。
そのくせ、うちは貧乏で、なおかつ母親の料理の腕が散々たるもので、食事そのものは貧しかった。
しかも、食事時間が異様に遅い上に、父親の帰りが遅く、母親は決して子供と一緒に食べようとしなかった。
いつもわたし一人か、弟と二人のさびしい食卓。

その矛盾が大キライだった。
物理的に健康の条件を満たしていても、ちっとも楽しくない。つまらない「食事」。
だからこそ、食べることは物理的な要件を満たす目的ではなく、きもちを満たす行為、を追求したくなったのかもしれない。

娘が日本で通っていた保育園で、数々の野菜を育てていたのだが、毎日目をかけて世話してきた園児は、苦手だったトマトも食べられるようになったそうだ。
それが、究極の「食べること」なのではないか、と思ったのだ。

彼と、退院したばかりの彼のお母さんを喜ばせようと、お寿司を作ることを計画して、新鮮な魚を入手できる店が探し、友達から本を見せてもらってレシピを入手し、ネタを購入し、この土曜日に、彼のご両親宅で一緒にお寿司作りに挑戦した。
彼のみならず、わたしも初めての挑戦で、二人とも思い切り我流で、ネタはガタガタ、シャリもガタガタだったけど、とても楽しかった。
とてもおいしかった。

先週は、一緒に春巻きを作ったのだが、彼のめちゃくちゃな巻き方で揚げている最中に中味から水分が出てきて油がはじけるハプニングもあったけど、やっぱり楽しかったし、おいしかった。
こういうことが、「食べること」かなーと思うし、思いたい。

彼がよく言うセリフ。
「僕たちは、なんら特別なことしてないけど、それでも楽しいし充実しているよね。」
ま、そういうこと。

それにしても、彼の方が圧倒的に合理的なものの考え方なのだなーと、新鮮な驚き。
男性は概して、そういう傾向があるのかもしれないが。
もちろん、だからといって感情も豊かな人だという認識は変わらない。

国民性の違い

この国に住み始めて間もない頃、孤独でなかなか研究も軌道にのらずに迷走していたとき、毎朝通るギャラリーにかかっていたこの絵に慰められていました。
それでどうしても欲しくなってしまい、初めての育児手当金でこれを買ってしまいました。
 
 
今日は英語クラスの日。
前期もとっていたが、試験に落ちてしまったため、2度目の履修。
内容はほぼ同じだが、毎回ディスカッションやプレゼンが含まれて、話すテーマが違うから、2度目といえど刺激は大きい。

今日のプレゼンで、母国とこの国の違いについて話した人がいたのだが、思いのほか皆の意見交換が白熱。
このクラスは外国留学生が多いだけに、やはりそれぞれ自国との違いを感じながら生活しているんだな~、と改めて実感。

発表した人は、ヨーロッパの南の国出身の人で、典型的なラテンとこの国も属しているゲルマン系の違いについて話していたが、イギリス人である先生のコメントが印象的だった。
「こっちの人は、見知らぬ人には挨拶さえしないよね。それが自分にとっては驚きだった。そして、何人友達がいるかということを気にしているような気がする。誰にでも打ち明けるというよりは、限定された範囲の中で交流しているように思った。」

ちなみに、わたしの好きな彼も、最初は無愛想で挨拶ひとつしないような人だった。
はっきりいって印象はよくなかった。
子供を介して、急激に親しくなれたのだが。

わたしは、こっちの国民性は比較的好意的に受けとめている。
社会性に乏しい感はあるが、干渉されなくて気楽だし、かといって頼みごとしたり尋ねたりすることがあっても、拒否されることはなく、むしろ快く受け入れてもらえることが多いからだ。
でも、事あるごとに、誰かに
「友達はいる?どのくらいいる?」
と質問されるのは正直奇異な感をもっていた。
確かに、友達がいることにこしたことはないが、それほど気にされることなのかな~と。
まるで、生活の中でもっとも重要なポイントであるかのように。

でも、こっちでは、日本のように、歓迎パーティも送別会もない。
軽いランチの会ならあるが、同じデパートメントでも、長い時間交流をもつことはない。
飲み会なんてまったくないから、友達がいないと、仕事以外の場で誰かと交流をもつ機会もないことになり、ひどく味気ない生活ということになってしまうのだろう。

どうりで、彼が、わたしに対してかなり積極的にコンタクトとろうとしたのもうなづける。
彼は、恋人を欲していた以上に、深い交流をもてる相手を探していたのだと思う。
この国だから。

この国の人は、ひどくシャイなんだそうだ。
ものすごく親切なのに、人見知りがはげしいということ。
でも、わたしは、どちらかというと、そういう価値観の方が好きだ。

共感しあえるもの同士、深くつきあいたい。
同じ属性だからつるまなければならない、というのはツライ。
別に共感しあっているわけではないから、理解させるのが困難。挙句には互いの価値観を押し付けあうだけになってしまう。干渉とも受け取れるし。
本当の味方になるとは限らないし。

昨日、彼と離婚のことだけでなく、わたしが娘をモチーフにした絵を描いたときのきもち、
いいことも悪いことも、どんな局面でも受け入れる。どんなときでも娘の味方になる。
を話した。
彼は、わたしの描いた絵がみたい、と言った。
彼と話すときもちが通じ合っている感覚になって、なんともいえない幸福感にひたれる。
わたしも、そういう関係性を欲していたのかもしれない。

来週は、わたしが日本の国民性についてプレゼンする予定。
なぜ日本で社会性が求められるのか、その理由について話します。

恋愛コンプレックス

今年の6月に、娘のたっての希望で、補助輪なしの自転車を購入。降園後も、頻繁に近所の芝生のところで練習。彼と初めて会ったのは、その練習現場だった。
 
 
 
 
今日、彼と話し合った。
彼は、今セパレート中で、すでに離婚同意書も自治体に提出しているにもかかわらず、今もなお奥さんのことでいろいろともめている。
端的にいえば、離婚するのに、奥さんの自立する意識と能力に乏しいことが、問題を引き起こしている。簡単にいえば経済的な問題。
この4年間、さんざん彼からそして彼のお父さんからお金をしぼりとったくせに、今週ある事件の件で弁護士に会ったとき、ついでに離婚に関する話を聞いたそうだ。それに自信を得たのか知らないが、提出した同意書を彼女側により有利に変更できる可能性を彼に示唆したとのこと。
奥さんが弁護士に会った日、珍しく早い時間に彼はわたしのところに電話してきたものの、あまりにも混乱している様子でわたしも彼の問題が理解できなかったのだが、そのあとも彼は一晩中眠れなかったという。

そして、今日、彼のお父さんと彼から詳細の説明をしてもらい、ようやく今置かれている彼の状況が把握できた次第。
わたしは、もどかしかった。
なぜ、彼が毎回毎回、彼女の要求を受け入れてきたのか。
なぜ、彼女と戦ってこなかったのか。
なぜ、まるで奴隷と主従のような関係を、改めようと努力しなかったのか。

今、何よりも大事なものを守るべく、彼女が家を出て、実質的にセパレートするまでは、多少の要求を受け入れようと決めている彼のきもちは理解できた。
だけど、なぜ、問題を感じた3年前から、取り組もうとしなかったのか、自尊心を守る努力をしてこなかったのか、もどかしかった。
そのイラだちを、彼にぶつけたら、
「関係がよくなる期待をしていた。だから、自分はその努力を常にしてきた。だって、彼女と別れたら、新しい恋人を得る自信もなかったから。でも、彼女の浮気が発覚して、関係がよくなることを期待することをやめた。」

なんで、こんなにも彼らの関係性にイライラするのか、すごくよくわかった。
わたしも、そうだったから。
わたしも、一人になることが怖かったから、夫との関係に問題を感じつつも、がまんして受け入れていたからだ。
それがつらくてつらくて。だって、そんな依存関係が、夫がわたしを軽くみることにつながったから。いつも人の話を聞かない。受け入れない。
でも、夫は、わたしに対してひどいことをしても、わたしが離れるなんて思ってもみてなかっただろう。
そんな余裕と自信が、わたしの尊厳をふみにじり、深く傷つけた。

彼の話を聞くと、そんなわたしの傷をよみがえらせる。
わたしの問題ではないのに、悔しくてしょうがなくて。

でも、悪いのは、夫なり、彼の奥さんではない。
きっと、
「ひとりになったらどうしよう。」という、
わたしたちがもつ不安が、そんな平等ではない関係にさせたのだと思う。

わたしは23歳まで、
彼は26歳まで、経験がなかった。

恋愛ができない。このコンプレックスって、案外とシリアスな問題だ。
恋人ができないことで、いや、自分の性的な部分を異性に受け入れてもらわないと、人間性まで否定されるような感覚になるのだから。
だから、ひとたび恋に落ちれば、それを失うことを極度に恐れるようになってしまう。

でも。今はもうわかっている。わたしたちは、ひとりなんだって、こと。そんな独立したひとりひとりとして存在しているから、そんなひとりひとりが互いに関係を結ぶことがこの上ないすばらしいことなんだって、こと。。

今、やっと始まりつつある