いまのしゅんかん -376ページ目

保育カレンダー


年末って、やはりある種のけじめをつけられる時期だなぁと思う。
掃除をせまられたり、久しく連絡をとってない人にも葉書を出したり、カレンダーや手帳を新調したり。
予定が書き込まれた今年のカレンダーをみると、自ずと1年間を振り返ることにもなる。
葉書やメールを出すときには、友達のことが気になったりする。
掃除をすれば、懐かしいものが出てきてそのときのことを思い出したりする。レポートを準備したときの残骸など特にせつないきもちにさせられる。

わたしは毎年、娘が通っていた日本の保育園で、「保育カレンダー」を購入し使っていた。
今年は、友達に頼んで送ってもらった。
これは、姉妹園(30園くらいある)の年長児が描いた絵をピックアップしてカレンダーであり、それはそれは子供の感性あふれる緻密ですばらしい絵なのである。
これをみると、わたしの都合で日本を去ったことを、ちょっぴり後悔する。
それほど、すばらしい保育園だった。

わたしは、現在の学力低下の原因は、学校システムのせいだけではなく、幼児期の生活環境の変化にも一因があるという意見をもっているが、それはやっぱりこの保育園で学んだ結果、そう考えるようになったのだと思う。
前の保育園は、ほとんどおもちゃがなく、テレビをみせることもなく、かわりに畑、飼育小屋、築山があり、豊かな自然の中での日常生活で、自ずと生きる力が育まれるような保育方針をとられていた。

畑仕事やにわとりの世話、園内の掃除などの労働や、散歩や園庭での遊び、竹棒のぼりやリズム体操などの運動を通じて、常に自らやるといった能動性が求められる。
やっぱり、テストなどで能力を管理することも大切かもしれないが、自らやってみたいという興味や好奇心などのものごとに取り組む原動力を育てないと、本質的に学ぶことはできないと思っている。

そういう意味で、パズルや塗り絵などでただ時間をやり過ごすことの多い今の保育園では物足りないと思ってしまう。
大人が常に環境を用意するのではなく、もっと子供たちが主体的に取り組むような保育内容であって欲しい。

そして、わたし自身、子供にとって本当に好ましい環境を与えているのか、省みさせられるのである。

クリスマスの贈りもの


彼は、今、一応大学生でもある。
1学期ひとつの授業というペースであるが大学に通っている。
彼の大学は1月に試験がある。
したがって、彼は今、試験のために準備に追われている。
わたしは、12月に試験があることをうらんだけれど、終わってしまえば何の気兼ねもなくクリスマスを過ごせるのだから、やっぱり12月でよかったかな、、と。
なんとも現金なわたしである。

それにしても大学や保育園などで度重なるクリスマスランチがあり、ろくろく仕事もできない状態。
なおかつ娘の誕生日などもあったので、試験が終わってもあわただしい。

今、クリスマスプレゼントの用意に追われている。
とはいえ、子供たちの分はすでに購入済み。
彼にはレストランにでも連れていく予定。
問題は、彼のご両親へのプレゼントなのである。

彼のご両親は、かなりリッチ。
だからこそ、
「高価なものはいらない。心にしみるものが欲しい。」
とおっしゃるのである。

彼らは、リッチだけれども、高価なものにお金をつぎこまないし、旅行に行ったり高級レストランに行くこともほとんどしない。
仕事が好きで顧客に心配りをし、なおかつ家族を大事にし、という価値観をベースに、必要になったらお金を出すといったスタンスをもっておられる。
言ってしまえば、家族に対してはお金を惜しまないところがある。
医療が無料のこの国で、お母さんはわざわざ私立の病院に入院したし、彼の弟さんの家の購入の資金援助をした。彼の離婚で、弁護士相談料、奥さんへの援助等いくら出しただろうか。
わたしたちも、プレゼントをいただいたり、わたしが好きな魚をたくさんいただいている。
家族の喜ぶ顔をみたいだけだから、何の見返りもいらないそうである。

そういう価値観にものすごく共感するし、だからこそ心をこめて何かを贈りたいのである。

そこで、写真をプレゼントをすることにした。
彼のカメラは奥さんが母国に置き忘れてしまったとかで、今もってないのである。
それで、わたしが撮った孫が写っている写真をCD-Rに焼いて贈ることを考えたのである。
だけどそれだけはつまらない。
やっぱりアート好きなわたしであるから、キャンバスを使った写真たてと、CDケースの表紙を手作りすることに。
早速画材屋さんで物色。
きれいなシールと、薄紙を購入し、ぺたぺた貼って仕上げた。

う~ん、愉しい!!
相手のきもちよりも、わたしの自己満足の方が大きいかも。
24日、ご両親宅に伺った際、渡す予定です。

離婚の条件

彼の奥さんは、新しいアパートをみつけて、今週には彼のアパートから引き払う予定、、だった。
、、が。
なんとそのアパート入居の契約書の中に、「2年以内で退居する場合には、敷金の返金は行わないものとする。」という条文があり、急遽入居することをキャンセルしたそうである。
なんといっても40万円の敷金。半年ほどで退居する身としては痛い出費である。
それにしても、、、いくら同じ敷地内のアパートを購入する心積もりがあるとはいえ、購入待ちのウェイティングリスト150位という下位にあるのだから、もっと早くから暫定入居アパートを探せばよかったのに、、と思う。

家を出る来年1月から、彼は彼女に対して、最初の半年は月7万円、次の2年間は月6万円程度送金することになっている。
しかし、よくよく聞いてみると、100%の養育権をもつ彼に対して最低2万円の養育費を彼女は支払う義務が発生するために、自動的にその分差し引かれ、なおかつ彼は半分税金で返金され、彼女は逆に税金を支払わなければならない。従って、彼の実質の負担分は最初は13,000円、あとの2年間は7,000円程度のもの。彼女は手取りで最初は4万円、あとの2年間は3万円程度になるとのこと。
別居してからは、ほとんど自力で生活しなければならなくなるのである。

実は、離婚を決める前に、すでに弁護士に相談していたそうである。

今年の2月、彼らは彼女の母国に2週間の予定で帰った。
しかし、彼女は彼と子供をホテルに置き去りにしたまま、ほとんど単独で行動していたそうだ。時には夜帰らない日もあったとか。おまけに、彼の財布を勝手に持ち出して散財していたそうである。
さすがに彼は彼女に激怒し、そこで大ゲンカ。
その勢いで彼女はそのまま母国に留まることを決め、彼と子供が先に帰ったあと、2ヶ月もたってからやっと戻ったそうだ。

彼は、彼女が母国にいる間、密かに弁護士のところに行ったのである。
もちろん、関係修復を望んでおり、その相談がメインであったが、万が一離婚に至った場合、財産分与、養育権、養育費等、お金にからむことについて具体的に聞いたそうだ。

結果的に、奥さんの不貞が発覚してすぐさま関係修復は不可能と判断した時点で、すばやく離婚の段取りが進んだのは、こういった下準備のおかげといえる。
合意書はほぼ彼の狙い通りのものが得られた。

養育権は100%彼のもの
財産分与は、お父さんからの多額の借金を含むので、トータルでネガティブであり、よって奥さんへの割り当ては物品含めて一切なし。
彼女のアパートの居住権利は今年いっぱいまで。
経済援助は、2年半トータルで200万円の送金と72万円の貸し金。
合意書を変更する行動を起こした場合には、即50万円の返金をすること。

72万円の貸し金は、返金されることは一切期待してないという。
だけども、この程度のお金で、下手な行動を抑制する効果を発揮できるので、返金されまいが一向に構わないという。
でも、奥さんにとっては厳しい条件といえよう。
この内容でよく合意を得られたと思うけれど、今までの行状でもってこれ以上の要求はできないと踏んだのかもしれない。

彼とお父さんは、わたしに対しても、離婚についてよくよく調べた方がいいと言った。

この国は、合意書を完全に保護するシステムをとっている。
例えば、奥さんがもし来年以降彼のアパートに住み続けていたら、警察に通報できるのである。
また、もし養育費を払わなかった場合、自治体が肩代わりして支払われ、なおかつ義務をもつ人に対して支払いの督促をしてくれるそうである。

だけど、日本ではここまで政府がサポートしていないと思う。
調べたところで、一体どの程度の効力を発揮できるのか、はなはだ疑問である。
だから、、というのもあるが、わたしは法律的なことよりも何よりも、夫とじっくり話し合いたいと思う。

単位取得


晴れて、単位取得に至った。
日本の大学のときと違って、格別な感慨がある。
やっぱり、その場しのぎで獲得したものと、本質的に学んで得たものの違いであろう。
それどころか、この単位取得が、単なるプロセスに過ぎないことを認識したことも大きいかもしれない。

早速、今日、英会話能力強化のための1対1のミーティングがあった。
そのために、昨日はデータを整理して、今後の方向性について示唆すべく夜中までかけてネタを用意した。
その結果、指導教官は興味を示してくれ、また新たな実験をやろうという話に発展し、面白い展開となった。
即日本にメールをし、実験のための材料を取り寄せる予定。

今日、保育園で、英語の試験で多大な助力をしてくれた友達に会った。
「夫がね、あなたが格段の進歩をとげているって話してたよ。」

今月、3つもの試験のプレッシャーで、ろくろく眠れないほどだったけど、やっぱり苦しさから生まれるものってあるんだ、ってこと。

嫉妬


彼の弟さんは、ものすごいハンサムですらっとした長身(196cm)。おまけに性格も社交的で親切。英語も堪能だ。
ちなみに、彼のお父さんも60歳近いというのにものすごくかっこいい。身長は2メートル。有能でこの国一番の大学を主席で卒業。35歳で部長、40歳すぎには取締役。45歳で独立。常に10以上の大きなクライアントをもつ優良事務所を維持しているエリートだ。おまけに子供好きで性格も温厚。

こんな完璧な2人に対して、彼は素直に尊敬している。

対してわたしは、弟にずっと嫉妬していた。
顔はわたしに似て不細工だから妬みようもないが、利発で感受性も豊か、黙っていても人が寄ってくる人気もので、頭がよくなく勉強でいつも苦労させられ、なおかつ性格が悪くて人間関係に常に悩まされていたわたしにとっては、もっとも身近な羨望の対象だった。
今では素直に弟に対して尊敬しているけれど、結婚するまでずっと嫉妬していたと思う。

今でも、わたしは嫉妬心をもっている。

娘は、彼の奥さんに懐いている。
それはそれでいいと思うし、なぜ娘が彼女のことを好ましく思っているのかも納得している。
彼女は、彼も認めるように、とにかく明るくフレンドリーな印象を与える人だ。
話し振りも賢そうで、社会性にすぐれている。

別に彼女のことがうらやましいと思っているわけではない。
刹那的な関係を結ぶだけならよいが、長く深くつきあうには好ましくない性質だからだ。
だけど、彼女をみると、わたし自身抱えているコンプレックスが刺激される。
賢くなくて、そのことを卑下する、じめじめして、ねちねちしている自分。

彼に聞いてみた。
「わたしの夫に対して嫉妬したりする?」
彼はこう言ったのだ。

「どうして嫉妬なんかするの?君のきもちがもはや向いてないことも知っているし、彼の仕事にだってうらやましいなんて思わないよ。僕は自分の仕事が好きだ。彼は車をもっている。でも僕は立派な自転車をもっていてそれに不満などない。」

わたしは、何度も何度も否定されつづけてきた。
両親に。友人らに。
「K(弟)はたくさん友達もいるし、いい大学に行ったのに。」
「そんなにくよくよして、大人じゃないよね。」

彼は、弟よりも背が低いし、英語能力も劣るし、ハンサムでもない。友達も少ない。
でも、ご両親は、
「B(彼)は、ハンデがあるけれど、よく努力してきたし、本当に賢いよ。」
と彼のことを認めている。

いつもいつも否定されていて。
自分ほどダメな人間はいない、って思っていた。
今は少し自分のことを受容できるようになってきたけど、それでもときどき自分を否定する自分が出現する。

かっこよくない、舌足らずな、社会性に乏しい彼。
でも、好き。
そして彼も、ダメな、子供っぽいわたしを、受容してくれている。

娘の誕生日


娘の5回目の誕生日。
初めて、日本以外の国で迎えることになった。
しかも、彼のご両親の家で。

昨日、彼の弟さんがわずかばかりのクリスマス休暇でオランダから帰省してきているため、一緒にクリスマスランチを立派なレストランに食べに行ったのだが、娘が微熱気味で、そのままご両親宅に自宅監禁。
ずるずると好意に甘えてまたまた泊まらせてもらったのだった。

しかし、朝になると、彼と彼の子供が誕生日の歌をうたってくれ、プレゼントをくれたのだった。しかも、長年切望していたバービー人形!
ひきつづきご両親が起きてきて、またまた誕生日の歌の斉唱。
それが延々と続くのだった。
いかに、この国で誕生日を大事にしているのか、よくわかる。

去年は、娘の誕生日の前日に日本に一時帰国したのだが、「両親が誕生日を祝いたがっているから、もう一日大阪に泊まろう。」という夫の説得でもって、翌日には帰省したいというわたしの申し出をはねのけたわりには、当日はさらっとしたもので、歌もないし食事は近所のファミリーレストラン。そこでショートケーキを買ったものの、ただ家で食べただけというさみしい誕生日だった。「おめでとう」の一言もなかったような。。
なんか、場所さえ与えればいいという感じで、心から祝福しているというのがみえなかった。
ものすごいよくしてもらったのは感謝しているけれど、感情の交流に乏しいのがさみしかった。
昨日は、レストランのすばらしさもさることながら、常にわたしに気をつかって会話をすすめてくれたり、ひとつひとつ料理の説明をしてくれたり。一生懸命この国の文化をわたしに教えようとしてくれるのがわかってうれしかった。

今日は、わたしが料理をふるまうという約束で、昼前に彼と二人で町まで繰り出して買出し。
日曜日だけれど、クリスマス前ということでどの店も開いており、誰もがクリスマス向けに大量に買い込んだりしていて、活気がみられた。
クリスマスはほとんどの人が家族と一緒に過ごすものであり、そのための準備は事欠かない。
クリスマスツリーも、本物のもみの木を飾るのが普通で、そこかしこにもみの木売り場がみられるのである。彼のご両親宅はすでに大きなもみの木が買い込んである。クリスマス前に一緒に飾りつけをする予定。
わたしの実家は、あまり慣習に従わない家庭だったので、こういうのがわくわくする。
買い物帰り、彼とクリスマスのパンをほおばるのも、ささやかな幸せである。

3時から料理スタート。

ヴィシソワーズ
ちらし寿司
チンジャオロース
春雨サラダ

という、多国籍のメニュー。
最初にご飯を炊いて、ちらし寿司にのせるネタ(マグロ、イクラ、エビ、しいたけ、人参、錦糸玉子)の下ごしらえとチンジャオロースの牛肉の下ごしらえと、、、なんてやることが山ほどあって混乱したけれど、とりあえずヴィシソワーズの方は彼に実働をまかせ、なんとかこなすことができた。
しかし、かれこれ3時間近くもかかった。
大人数の料理を作るのは初めてで、こんなに大変なことだとは。
指導教官の奥さんは、パーティで10何品もの料理を用意し、しかも寿司だの餃子だのというのもあって、本当すごいと思う。

そして、肝心の食事。
皆で娘のために誕生日の歌を2曲も歌ってくれ、娘も大満足。
料理も好評で、ほっ。
やはりヴィシソワーズがもっとも好評だったような。

娘にとっても、わたしにとっても、とてもいい誕生日だった。
こんなめちゃくちゃな母親に、5年間ついてきた娘に感謝。

保育園の誕生日会


2日早く、保育園で娘の誕生日をやってもらうよう頼んだ。

今年は、ちょうど日曜日だからである。
この国は、誕生日をとても大事にするので、一人一人別々にお祝いする。
誕生日当日のお昼ぐらいに、自宅に全員を招いて誕生日会をする家庭もけっこういる。
クラスに20人くらいいるので、娘は頻繁に誕生日会に参加しているわけであり、その度に自分の誕生日を待ち焦がれるようになったと思う。
だから、ワンルームの我が家に招待するのは不可能だけれど、保育園にお願いして誕生日会をしてもらうようにしたのだ。

去年も同じように保育園にお願いしたのだが、その際面白いかなと思って日本の料理を用意したのだ。
それが、子供には変わったものらしく、概ね不評だった。
大人にとってはお寿司もおいしいと思えるかもしれないが、米を食べたことのない子供にとって、日本料理は味も舌触りも奇異なものだったに違いない。

それで、今年は、ケーキだけをもっていくことにしたのだった。

しかし、わたしはケーキを焼いたことが今までの人生の中で一回もない。
ちなみに、母親がケーキを焼いているのも見たことがない。
ずいぶんと無謀な計画である。
しかし、今まで、ホットケーキなら何度も焼いたことがあり、材料なら検討がつくのでなんとかなるだろうと思っていたのだ。
最初はレシピも用意せずに、大体の見当で作ろうと思うほど。

何気にインターネットでレシピを入手したところ、
スポンジケーキって、卵ケーキのようなものなんだ!
ということを初めて知った。
卵6コに対して、小麦粉140グラム。
レシピを用意してよかった。。。。

大型のオーブンを借りるため、またまた彼のご両親の家に泊まりこみで、夜のクッキング。
彼は彼でクリスマス用のクッキー製作。
この国は、クリスマスに何種類ものクッキーを用意するのが慣習としてあるのだそうだ。

どこまで卵黄と卵白を泡立てるのかよくわからなかったし、あまりにも卵の膨れ方がすごくてそれに対してあまりにも少ない小麦粉をどう混ぜたらいいのかわからず、適当に混ぜたタネをオーブンに入れてから不安でしょうがなかったが、出来栄えとしては上出来だった。
本当、お店に出してもいいのでは?というぐらい、ふわふわのケーキができた。
クリームを泡立て、作っておいたオレンジ寒天をちらして、小さなスポンジケーキの台にのせて試食したところ、すごくおいしー!!、というものができた。
初めてなのにすごいわ。

ちなみに、この前彼が作ってくれたジンジャークッキーもすごくおいしかったのだが、彼もまたクッキーを焼くことなんて初めてだという。
というか、彼は料理なんてほとんどしなかったのだそうだ。
それなのに、春巻きを作るのを手伝ってくれたり、お寿司を作ってくれたり、クッキーを作ったり、ホットワインを作ったり、ご両親にとっても驚きの連続のようだ。

「なんでいきなり料理にトライするようになったの?」と聞いたところ、
「いやー、だって、一緒にやることが楽しいでしょう?」
そうなのだ。
かくいうわたしだって、今回のケーキも初めてだし、お寿司作りも初めてだった。
彼とだと、何でもやってみたい!という気になるのだ。

夫の場合、
「ねぇ、キャンプやってみようよ。」
「いろいろ用意しなくちゃならないから面倒くさい。」
「ねぇ、山登りに行こうよ。」
「疲れるからやだ。」
ってなもので、トライする気も失せた。夫が好むのは、こちらが何もしなくても楽しさを与えてくれる遊園地やデパート、ゲームセンターなどである。
もちろん、わたしが料理していても好奇心で寄ってくることなんて皆無だった。
一緒にいても、一緒にいるという実感に乏しかった。

誕生日会当日。
ケーキの上に文字を書くため、彼が湯銭でチョコレートを溶かしてくれた。

、、、が、スポンジケーキ、、、子供にはうけなかったです。
(こっちでは、スポンジケーキはなく、小麦粉たくさんの固いケーキが主流)

芸術で人を表現する


アイスランド大使館に行ってきた。
気になっていたアイスランド出身のアーティストの展示会を観に行くためである。
とてもよかった。
このひとの作品は、人をモチーフにすることが多いのだが、ひとりひとり違った人間同士が向き合っているような、そんな構図が好きである。

アイスランドは、実はもっとも行ってみたい国である。
なぜなのか、自分でもよくわからないのだけれど、、、。
わたしは、きっと南国よりも北国が好きなんだと思う。
確かに、スペインやイタリアの、どこまでも明るい開放的な雰囲気も魅力的だとは思ったけれど、どこかでそれだけでは物足りないと思うきもちもあった。

北国であるこの国に住みはじめてすぐ、モダンではあるのだけれど、どこか繊細な、少し哀しみも混じったような芸術感覚に魅了された。
それよりももっと北にあるアイスランドに惹かれるのかもしれない。

***************

彼は、ハンサムでもないし、太ってもいる。
言語能力に乏しく、その改善のために特別クラスにも通っている。
そんな彼に、なんで惹かれたのかというと、彼は悲しみも苦しみも認めて受け入れているから。
わたしがコンプレックスや傷で支離滅裂になって泣き喚いても、それを黙って受け入れてくれた。
「泣くことはすばらしいことだから。」
と言ってくれた。

「わたしは、普通の日本人女性のように美しくもないし親切でもない、変わった日本人なんだよ。」
と言っても、
「誰一人、“普通の人”なんていないよ。」
と言ってくれた。

そして彼も、賢くもなくハンサムでもない自分を認め、自分ができることを淡々とこなしている。
不器用ながらも何でも一生懸命取り組む彼。
いとおしくてたまらない。

***************

人とは違う自分。
そういう自分が、まったく異なる人間と対峙する。
悲しみも苦しみも愉しさももっている人間同士。
そんなキリッとした構図をみせる、この作品にわたしの心はとらわれた。

読みたいもの


雪の結晶
バイキングの歴史
エゴン・シーレ
自分を再評価すること

試験が終わって、読みたいと思っているもの。
いずれも英語の本なので、今までペンディングしていたけれど、英語の勉強のためにも是非読もうと思っている。

いずれも興味がある本ばかりなのだけれど、「雪の結晶」は、とにかく写真がすばらしく、つい一目ぼれして即買いしてしまったシロモノである。
内容ももちろん興味深い。
というのは、その雪の結晶成長のメカニズムこそ、わたしが研究したいという原動力の契機ともなったあるメカニズムに酷似しているからである。
そして、昨日パスしたばかりの専門授業の内容にも通じている。

温度差と、水の分子の濃度によって結晶の形が決まるそうだけれど、分子の挙動を想像するだけで面白い。

考えるのが愉しくて、研究したい!と思ったときには、まさか日本を出て、離婚もして、試験に苦しむハメになるとは想像だにしてなかったけれど。
というか、こんなにも深い世界だとは思わなかった。
やっぱり、世界を広げるって、困難を伴うもの。
でも、後悔はしていない。

コミュニケーションは成長のための必須事項

3つの試験、すなわち英語クラスと2つの専門授業、無事試験に合格した。
これで晴れて、ほとんどの単位を取得できた。
もっとも懸念していたことがクリアできたのだから、とびあがってもいいくらいのもの。

、、、が、今のわたしはちっともうれしいという感情がない。
いずれも一定の評価を得たものの、いずれも
「英語力をもっと磨かなくては。」
とのコメント。

そう。
今までも認識していたことではあるが、この試験を経て、語学能力が深刻な問題であることをより強く認識したからだ。
そして、その問題を解消するのに、決して平坦な道ではない、とても厳しい道であることを改めて認識したからだ。

英文を書くことに関しては、だいぶ改善できた。
しかし、いまだ会話は苦手である。
瞬時に相手の言うことを理解して、瞬時に自分の意見を述べる。
これがなかなか難しい。
書くときには考えることに充分時間を費やすことができるが、会話はその場で理解しなければならない。

それともうひとつ。
重大な問題は、「自信」である。
彼や友達と話すときにはかなりラクにコミュニケーションをとることができる。
それは、多少誤っても理解してくれるという信頼あってのことだと思う。
でも、ほかの人と話すときには、理解してもらえる自信がないためにいつも緊張してしまう。

だけど、どんなに自分の中で理解していたとしても、それを外側に伝えなければ意味がない。
お互いのもっているものを交換しながら互いに成長していくものだからだ。
科学者にとって、コミュニケーションは、必要不可欠のもの。
英語力と、コミュニケーション能力は、どこまでも要求されるものなのである。

わたしは、大学を出てからすぐに、ある民間会社に研究員として働き始めた。
研究そのものはけっこう面白かったが、仕事はつらくてしょうがなかった。
今思うと、わたしのコミュニケーション能力の乏しさが、その苦しさの根源だったと思う。
チームを組んでいるから常に誰かと協力しあいながら研究しなければならないし、自分の手に負えない仕事があるときには誰かに協力を請わなければならない。
特に知識も経験も乏しいわたしにとっては、自分ひとりでこなせることなど皆無であり、常に誰かの助けを必要としていたにもかかわらず、わたしはその度に多大なエネルギーを費やさなければならなかった。

今回の試験にしても、与えられた知識を自分の中で理解して消化することよりも、自分が理解していることを証明することにものすごくエネルギーを費やした。
自分の意見を英文にまとめたり、プレゼンテーションのスライドや原稿を作ったり。
理解していることを、自分のことばで表現することが、とてつもなく困難な作業だった。

だけど、コミュニケーションが、仕事だけでなく、人生の中でも重要なことだとわかっている。
今年になって友達ができてきて、いろんな人に自分の思いをはきだす機会が増えたのだが、その際人の意見を聞くことができたり、または共感しあったり、人と交わることで得るものはたくさんあった。
去年は、友達もあまりいなくて、そのことをあまりさみしいとも思わなかったけれど、今思うと一人よがりだったなぁと思う。
いくら意見をもっていても、それを省みるチャンスがなく、つい自分の中で思い込みだけが強くなってしまう。どこかにフィードバックにさせないと、事実を間違ったまま認識する可能性だって高い。

今回、実際には試験前に、
英語は彼と友達とディスカッションさせてもらい、
専門授業は担当教官と複数にわたってディスカッションさせてもらった。
彼らの意見に触れるたびに、ああそういう考え方、そういう事実もあるのだという新しい発見を見出すことができた。
そしてまた、彼らに自分の考えを表現しようと何度も試みることができた。
そして、表現することの難しさを改めて認識することができた。

来年から、指導教官と特例で週に一回ミーティングの場を設けてくれると約束をしていただいた。
多忙な方なのに、どれだけわたしの能力に懸念を示しているか。
ともかくありがたい処置である。

もっといろんな人と交わって成長したい。

だから、この試験結果で慢心したりせずに、英語能力はもちろんのこと、わたしの根源の問題、すなわち「自信のなさ」を克服すべく、人間として成長していけるよう努力していきたいと思う。