潜在幸福エネルギー | いまのしゅんかん

潜在幸福エネルギー

 
12月に試験があるのがににに憎い。
本当は、今クリスマスの準備をもっと楽しみたいのだが、、、今年は、あまり時間のかからないものをちょこちょこ作っているぐらい。

でも、この折り紙のツリー。
わたしが作っていたら、彼がこの国でポピュラーな星(日本でいったら鶴みたいな?)をミニサイズで作ることを思い立ち、最後は針まで駆使して完成させてくれました。
このひと。
わたしが何かやるとすぐ一緒にやろうとする。春巻きもお寿司もそうだし、ビーズ製作も。
本当に好奇心旺盛なんだなぁ、と思う。

彼は、「貢ぐ人」だった。
奥さんにもそうだし、前の彼女も。
でもその結果、彼女らの欲求はとどまることを知らなかった。
おいしいものを食べにいき、きれいなものを身につけ。
そんなのを延々と繰り返した。

今、英語の試験課題で「肥満の問題」についてエッセイを書いていて思ったのだが、今は食欲もすぐに満たすことができるから、かえって食べることの感動は乏しくなったような気がする。
昔は、空腹を我慢することがふつうだったから、毎回ごはんを食べる時間が楽しみだった。
今は、食べることはもう当たり前で、感動を求めるにはもっと特別なことをしなければいけない感じ。

やっぱり、得がたいから、得られる感動もひとしおなわけで。
欲求が暴走すると、かえって幸せってみえなくなってくるんじゃないかな。

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先週、彼の亡くなったおばあさんの家に行き、遺物を少しいただいてきたのだが、わたしが得たものは本当に本当にささいなもの。
まぁ、今のアパートにはもはやスペースもないので、大きなものはあえて断ったのだけれど。
でも、本当に欲しかったものをいただくことができました。
小さなオーブン、キッシュ皿、ケーキ型、古い地図、レース編み
早速、オーブンでマカロニグラタンとピザトーストを作ったのだけど、上出来。グラタンが特に好評。12月の娘の誕生日にもこれでケーキを焼く予定。

奥さんは、ベッド、食器棚、クローゼット2点、チェスト、計5つの大きな家具をもらったそうだ。
でも、今度移るアパートにはそんな置くスペースがなく、大きなアパートに移るまでは、彼のアパートの一室に、「置かせてもらう。」と。
運ぶ手間もスペースも省みることなく。

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油絵の道具。
スーパーで、2,000円ほどで売っていた。
彼は、安いからといってそれをわたしへのクリスマスプレゼントにしようとしたけれど、わたしは断固拒否した。
わたしは、安い道具で油絵を描きたくない。
耐久性が格段に違うからだ。長い時間かけて苦労して描いても、色落ちしておじゃんになるリスクがある。
ケチなわたしだけれど、1本700円の絵の具チューブを買うのである。

わたしは、本当に欲しいと思うものを欲する。
ただ安いから、もらえるからという理由で何かを得たいと思わない。
ただであっても、ものはもの。
ただであっても時間は時間。
潜在しているエネルギーをできる限りかみしめたい。

だから、二人して折り紙でツリーを作ったとき
ビーズで帽子をつくってくれたとき
グラタンをおいしそうに何度もおかわりしたとき
感じたふわっとした幸せ
そんな時間をつくっていきたい。