きもちを満たしたい | いまのしゅんかん

きもちを満たしたい

お寿司作りに挑戦している図。
 
 
わたしと彼は、よく議論する。
何かきっかけにがあればすぐに議論。
大体テレビを観ていてネタになる場合もあるし、わたしの課題がきっかけになることもあるし。
かれこれ、、、
アメリカの肥満の問題
芸術作品の値段
社会的性差の問題
若い人の性の問題
などなど。
会えば必ず議論するから、ここには挙げ切れないほど多くのネタで議論している。

価値観は近いから、それほど極端に意見が食い違うこともないが、やはり育ったバッググラウンドと性が違うだけに考え方は異なっていて、それがまた刺激になって面白い。自分自身について振り返ることにもなるし。

でも、日曜日にした議論は、どうしてもすりあわせられない、彼との差異というものを痛感させられるものだった。だからといって、もちろん嫌いになるというわけではないのだが、やっぱり話し合うことで相手を本質的に知ることになるんだな~、と。

日曜日の夜のニュースにて。
ビタミン剤を摂取する習慣をもつグループが、摂取しないグループに比べ、ガンの罹患率が10%低減するというデータが、ある医療研究グループによって報告された、というニュース。

わたしは、彼が、習慣的ではないが、気が向いたときにビタミン剤を飲んでいるのを知っている。
が、わたしは言った。
「わたしはビタミン剤を飲むことは好きじゃない。」

案の定、過敏に反応した彼が、反論をまくしあげ、いつもになく激しい論争を繰り広げた、というわけ。

彼の意見の概要としては、
「ビタミン剤の効果はある程度認知されているのに、何故拒否するの?だって普通の薬と違って副作用もないんだよ。飲んだって害にならないじゃない。」

それに対してわたしの意見。
「効果があることも害がないことも知っているよ。だけど、その行為そのものが好きじゃないの。わたしにとって、食べることは愉しみであるから。ビタミン剤を飲むことで、「食べている感覚になる」ことが好きじゃないの。食べる行為その過程が重要だと思っているから。」

一応わたしのきもちはわかったのかな。
でも、ビタミン剤を飲むことなんて、取るに足らないこと。飲んでも飲まなくてもたいした違いはない。それなのに、ここまで飲まないことに固執することが理解できなかった様子。

わたしも固執していない。
どうしても飲まないと決めているわけではない。
実際のところ、偏頭痛や生理痛があれば鎮痛剤でごまかしているわけだし。よっぽど、この薬の方が害にあるに決まっている。
ただ、「栄養剤を飲む行為が好きじゃない」と言っただけ。
言ってしまえば、やっていることと言っていることに矛盾が生じること承知で、甘いものに依存したり、鎮痛剤を飲む行為も「好きじゃない」。

多分に、わたしの生まれ育った環境が影響しているのだと思う。
わたしの母は、それこそ薬好き、栄養剤好きで、それこそ小さいときからいろんな種類の「体にいいもの」をとらされ続けていた。一時は、高いのに、ネズミ講みたいなもので売っていた「体にいい食品」を購入していたし。
そのくせ、うちは貧乏で、なおかつ母親の料理の腕が散々たるもので、食事そのものは貧しかった。
しかも、食事時間が異様に遅い上に、父親の帰りが遅く、母親は決して子供と一緒に食べようとしなかった。
いつもわたし一人か、弟と二人のさびしい食卓。

その矛盾が大キライだった。
物理的に健康の条件を満たしていても、ちっとも楽しくない。つまらない「食事」。
だからこそ、食べることは物理的な要件を満たす目的ではなく、きもちを満たす行為、を追求したくなったのかもしれない。

娘が日本で通っていた保育園で、数々の野菜を育てていたのだが、毎日目をかけて世話してきた園児は、苦手だったトマトも食べられるようになったそうだ。
それが、究極の「食べること」なのではないか、と思ったのだ。

彼と、退院したばかりの彼のお母さんを喜ばせようと、お寿司を作ることを計画して、新鮮な魚を入手できる店が探し、友達から本を見せてもらってレシピを入手し、ネタを購入し、この土曜日に、彼のご両親宅で一緒にお寿司作りに挑戦した。
彼のみならず、わたしも初めての挑戦で、二人とも思い切り我流で、ネタはガタガタ、シャリもガタガタだったけど、とても楽しかった。
とてもおいしかった。

先週は、一緒に春巻きを作ったのだが、彼のめちゃくちゃな巻き方で揚げている最中に中味から水分が出てきて油がはじけるハプニングもあったけど、やっぱり楽しかったし、おいしかった。
こういうことが、「食べること」かなーと思うし、思いたい。

彼がよく言うセリフ。
「僕たちは、なんら特別なことしてないけど、それでも楽しいし充実しているよね。」
ま、そういうこと。

それにしても、彼の方が圧倒的に合理的なものの考え方なのだなーと、新鮮な驚き。
男性は概して、そういう傾向があるのかもしれないが。
もちろん、だからといって感情も豊かな人だという認識は変わらない。