いまのしゅんかん -374ページ目

苦しさを乗り越えてこそ

月曜日に彼の元奥さんが息子さんを引き取ったものの、息子さんが風邪をひいてしまい、急遽彼が引き取ったそうだ。
いくら養育権が100%彼にあるにしても、働いてなく時間的に余裕のある彼女は息子さんの看病をしたいと思わなかったのだろうか、と少し悲しくなった。
さんざん聞いてはいたけれど、彼女にとって子供との関わりあいというのは、「お楽しみ」であって、「親としての責務」ではないのだなぁ、と。

そういうところ、夫に似ている。

夫にとって、「子育て」のみならず、「結婚生活」も、「人生に潤いを与えるもの」以外の何ものでもなかったと思う。
実際に、わたしがこの国に来ることに決めたとき、夫は、「俺の楽しみを奪いやがって」と吐いたのだった。

夫は、誰よりも遅く起きて、誰よりも早く家を出ていた。
あわただしい朝、あわてて子供の朝ごはんの支度をしたり、着替えさせたり、保育園の準備をするあのすざましい時間を夫は知らない。
保育園で、仕事に行かなければならないのに、なかなか子供が集団の中に入っていけない葛藤も知らない。
楽しいことだけではなく、子供がいることによって感じる「イライラ」を知らずにすんでいた。
ただ、休日の楽しい時間を過ごして、「かわいい」「いとおしい」子供をみるだけだ。
「結婚」にしても、「楽しい時間」だけをのぞんでいた。
議論で反対の意見をいうと、そこでもうシャットアウト。
わたしには、おいしいご飯と、夫への共感同調だけをのぞんだ。
一緒に難しい問題に取り組むなんて、とんでもないこと。

友達に、「なんでご主人に彼のことを話してしまったの?」と言われた。
どこまでも自分本位で、自分の苦しさしか視野のない夫に対して、離婚原因に夫の過失も寄与しているなんて認めさせるのは到底不可能であり、離婚を受け入れさせるには、彼のことを話すしかないと判断したからだ。
案の定、離婚の原因を、「関係不和」から、「妻の不貞行為」に責任転嫁することによって、夫は離婚を受け入れるに至ったのである。

友達が、「何かをしてもらう、ではなく、自分から何かをしてあげることが幸せと思うようになってから、関係がよくなった。」と言っていたけれど、本当にそのとおりだと思う。
関係があることにただ安心するのではなく、関係によって伴ってくる困難に自分が責任をもって対処することで、本当の「関係」が成立するのだと思う。

「負け犬」という本が流行って、今ではそのドラマもやっているそうだけれど、本当にナンセンスだなぁ、と思う。
「負け犬」である著者いわく、「こんなに受けるとは思わなかった。」だそうだけれど、これってまさに世の中の風潮に無意識のうちに傷つけられているひとたちのコンプレックスを刺激することを意図した、出版社の戦略ほかならない。
しかも、本当に子育てに携わっていないオヤジに限って、「子供のいない人は」と言ったりするんだよなー。本当にその苦しさを知っている人間からしてみれば、子供をもつかどうかは本人の自由だと思う。

「結婚」にしても、「子育て」にしても、いやほかのことすべて、いいことだけではない、苦しいことも多分に含んでいるもの。
言ってしまえば、それを避けては何も得られないと思う。
「関係」も、「自己啓発」も、ラクして得られるものではない。
それによって生じる苦しさを自分の責任で引き受けてこそ、達成できるものではないだろうか。

とりあえず、夫の掲示してきた合意書を受け入れようと思う。
でも、友達に同伴してもらって、言いたいことはいうつもりである。
わたしの望むことは、お金ではなく、夫に離婚の本質的な原因について認識してもらうことだから。
夫に理解させるのは無理だとは思うけれど、自分の過失を認められないうちは、成長できないよ。

外国に暮らすことの困難

彼に不満をもらした。
試験前とはいえ、彼が、息子さんの世話を両親に託して、ここんとこずっと休み返上で勉強しているからだ。
わたしは、試験前であっても、週末は保育園が休みなので勉強できない。
だからこそ、9月から平日の夜に集中して勉強してきている。
彼は、12月まではほとんど自宅学習してなかったと思う。夜9時には寝ていたりして。そういうツケが今にまわってきて、休日ほっとかれているのになんだか文句のひとつでも言いたくなったのである。

まぁ、それだけではなく。
この国の移民政策がどんどん厳しくなってきており、彼と一緒になるためには、相当わたしの方がエネルギーを必要とされることは必須である。
この国の言語を習得しなければならないのもそのひとつではあるが。

だから、そういう厳しい状況に置かれているわたしの立場というものに対して、もっと意識せよと訴えたのである。
あんたと違って、わたしは両親もいないし、友人も少ない。
サポートの少ない環境の中で永久に暮らしていくためには、あんたのケアが必須なんだよ、と。

その結果、土曜日の夜は勉強しないと宣言し(それでも夜までのほぼまる一日両親宅で勉強していた)、一緒に過ごすことができたのだが。
それどころか、わたしの家庭教師の間は娘の寝かしつけもしてくれた。

しかし、その家庭教師をしている日本の女の子にしろ、日曜日に遊びにいった日本人の友達にしろ、彼女らと話すにつけ、つくづく日本人がこの国で暮らしていくのってハードだなぁ、と思った。
ことばもそうだけど、何よりも考え方の近いとか、文化の違いをことごとく痛感させられる。

家庭教師をしている彼女をみると、本質を理解するというよりは、クラスで要求されていることだけを懸命に獲得しようとしているようにみえる。
自分の考察を書くというよりは、質問の回答をただ捜そうとしたり、所定のレポートを書こうとしたり。
でもこれって、彼女に限らず、日本人の典型的な学習姿勢ではないだろうか。

日曜日に遊びに行った夫婦と話したとき、この国の人であるご主人の日本人の歴史に対する認識不足に対する意見が印象的だった。
とにかく日本人は何もかも覚えようとして、その知識から思考して物事を深めようなんてことは皆無ではなかろうか。
歴史で事実や年代を覚えても、どうしてその出来事が起きたのか考えない。その結果どうなったのか考えない。ただ存在している事実を覚えこむだけである。
だから、テストのときだけは覚えていても、ただの知識の羅列に過ぎないので、その記憶は簡単に失ってしまうことが多い。日本人の教養不足はとみに有名である。

だけど、それにしてもこの国は他の欧米諸国と比べても特殊な国であると思う。
とにかくなんでも自分の意見を求められる。
試験のやりかたからしても、必ず自分のことばで表現しなければならない。
英語のクラスにしても、面白かったけれど、毎回毎回いろんなネタに対して自分の意見を言わなければならないのはつらくもあった。自分の興味あるなしにかかわらず、常に思考を求められるからである。

そこへ、自分の意見を言う機会が著しく少ない日本の教育を受けた人間が入っていくのは本当にハードである。
社会は自分たちで変えるという意識の高いひとたちの中に、社会を変えるどころか、政治にも関心のうすい日本人が入っていくのである。

そう思うと、やっぱり国際結婚って、難しいなぁと。
もっとも、日本人同士であっても恋愛や結婚に困難は伴うもの。
でも、日本人同士でさえ互いの違いを認識するのに、国が違うとこうもバッググラウンドが違うのかと痛感せずにはいられない。

彼は彼で、「日本で僕みたいな人を探すのは大変だよ。」と、のたまっております。
だからわたしはわたしで、「そうはいっても、国の違うもの同士が一緒になるのはそうイージーなことじゃないんだよ。」と釘を刺すのである。
まぁ、近い将来に問題が出てきて、嫌でも認識させられることになると思うけれど。

2005-01-14

昨日は、風邪でふせっていた。
いろいろ重なって疲れたのかもしれない。

今朝、保育園の保育士と、娘の進学について話した。
保育士としては、娘はもう1年保育園に残るべきという意見をもっているとのこと。
すなわち、ネイティブスピーカーではない娘は8歳になる前の夏に就学するべきでは、とのことだ。

6歳で就学するのが普通の日本人の感覚では遅すぎるような気もしなくもないが、それはまぁいい。
問題は、就学する前に、特別に週3回ある語学教室に通わせる必要があると示唆されたこと。

語学教室は無料で市が提供してくれるので、経済的な問題はないが、わたしのもつ教育観とのギャップを感じずにはいられない。

この国は、コミュニケーションがもっとも大切なことと考えているせいか、語学の能力に対してやたらセンシティブな感がある。
それは子供に限らず、大人にとっても。
ビザ取得要件に、語学能力が要求されていることもしかり。

確かに、ことばができるに超したことはないが、子供にとってもっとも大切なことは果たしてことばか?と思う。
ことばというのは、あくまでも自分の内側にもつ感情を外側に出す方法にほかならない。
ことばを充実させるには、すなわち内側も充実しなければならないのである。

だけども、この国の子供は、口は達者なのに、行動が伴っていないことが往々にしてある。
絵も貧相だし、創造的な遊びをしない。
カード遊びを延々とやっていたりする。
体操教室でも、筋力のない子供が圧倒的に多い。
ちなみに、彼の息子も3歳半になるのに、自分で服を着れない。靴をはけない。フォークやスプーンを使いこなせない。いまだ手づかみである。ことばの発達は問題ないが、生活全般的な発達はイマイチという感じである。(でも、彼は息子さんのことを賢いと評価している。)

カードや歌でことばを覚えるよりも、日常生活の中で家事を手伝ったり、外に出て自然に触れいろんな発見をしたり、運動面でいろんなことにトライしていく中で、自然とことばを獲得するのが、妥当ではないか?と思う。実際、困難にぶつかったときに、新しいことにも直面するし、いろいろと考えさせられる。

語学教室に行く前に、もっと豊かな環境を与えられないのか?と文句言いたくなったのである。
みんなと掃除などの労働をトライしてみるのもいいし、お話を読んで大きな絵を描いてみてもいいし、散歩していろんなものを拾って何か創作してみるのもいいし。
結局語学教室も、カード遊びや歌などに終始するのかと思うと、ボキャブラリーは増えるかもしれないけど、本当に必要とされる感性を助長することにはならないよなぁ、と思ってしまう。

それにしても。
確かに、住む国の言語を獲得することは大切なことかもしれないけど、強制されるというのがどうも。
わたしの感性が好きだといってくれる彼さえも、住むとなったら「この国のことばを学ばないとね。」と言う。
働きながら、子供を育てながら、今までかけらも習ったことのない言語を習得することが、どんなに大変なことなのか、わかっているのだろうか、と疑いたくなる。

いずれにしても、ことばというのは、促成で獲得できるものではない。
日常生活の中でコミュニケーションの道具として使いながら、徐々に獲得していくものである。

小学校説明会


娘が行く予定の小学校の説明会に行ってきた。

正確にいうと、正規の入学ではなく、小学校付属の幼稚部への入学である。
すなわち、0年生クラスに入るわけである。
この国特有のシステムだと思うのだが、通常、小学校に入学する前に、席につく、先生の話を聞く、自分のもちものを自分で管理するなど、文字を習うというよりかは授業の受け方といった基本的なことを学ぶために幼稚部に入るそうである。
もちろん任意ではあるが、ほぼ100%の子供が幼稚部に入るそうだ。

この国は、ほぼ100%の母親が仕事をもっているため、ほぼ全員保育園で養育され、幼稚園というものがほとんどない。
だからこそ、幼稚園のようなものを小学校の中につくったのかな、と思わなくもない。
保育園よりも、教育色の強いところであると思う。

また、日本と違って、学年を年ごとで分ける。
つまり、12月と1月の間で学年を分けるのである。
娘は12月19日生まれ。12月生まれの子供は、1年遅らせても特に支障はないようだ。
娘は、ネイティブではないし、体の大きさもこの国の子供に比べて格段に小さい。
だから小学校に入るのを躊躇したのだが、周囲の人はことごとく幼稚部への入学を勧めるのである。
その理由として、年下の子ばかりと接するよりも、年上の子と交流をもった方が刺激が大きいから。
まぁ、このまま保育園に残存するとなると、娘が一番年上になることは間違いないのだが。
わたし自身、3月25日生まれで学年の中で圧倒的に遅い方だったのだが、確かに周りが自分よりもはるかにしっかりしていると思えたものだ。

説明会は、当然現地語なのでほとんど理解できず、どう判断したらよいかわからなかった。
しかし、同伴してくれた彼は、いたくこの学校を気に入った様子である。
まぁ、子供にとっても親にとっても学ぶことは愉しいと思えるような学校づくりというスタンスについてはわたしも同意したが。

実は、去年の4月に、日本から遊びにきた友達と一緒に、この国の学校を見学したことがある。
ちょうどプロジェクトに取り組んでいる期間であったので、日常的な教育についてはわからなかったのだが、日本のように教え込むというよりかは、生徒のイニチアティブによって学ばせるというやり方に共感を覚えたのだった。

見学のあと、彼と教育について話し合ったのだが、この国は子供の状況に考慮することを重視しているという。つまり、決められた内容を一律に何が何でも覚えさせるのではなく、子供のレベルに応じて確実にできることをさせるということ。
その結果、この国の子供の学習レベルは格段に低い位置にあるそうだが。

賛否両論あると思うけど、わたしは、この国のやり方のほうが好ましいと思う。
決められたことを徹底的にこなすのでは、学ぶことが苦しいことになって、本質的に身にはならないと思うから。

だけど、彼に強調して言ったのは、5歳という娘の年齢では、まだ文字を覚えるなどの技術を学ぶよりも、ことばを使うための基本を育てたいということ。
つまり、ことばを使って表現したくなるような、豊かな感性を育てたいと。
だから、彼は子供にコンピューターを使って、機関車トーマスのサイトを見せてあげたりしているが、わたしは好きではない。
クリックすれば次々といろんな画面が出てきて、何も考えなくても常に刺激を与えてくれる。
それはどうかと思ってしまう。
自ら創り出す機会を失うことになるのではないか?
それよりも、外で自然を使ってみたて遊びをしたり、室内にしても道具を使って何かを創ったり、本を一緒に読んで会話を楽しむといった遊びを推奨したい。
実際のところ、やり方が決まっているカード遊びに夢中になってしまっているのだが。

きちんとした土台を築いてないと、コンピューターもただの道具ではなくなってしまうから。
コンピューター狂いの彼と、激論を交わしたけど、それだけは理解して欲しい。

変動

今日から、彼にとっては新しい生活が始まる。
先週までは、試験前ということで、毎日ご両親宅でごはんを食べていた。(わたしたちも)
でも、先週、彼女の引越しが済み、彼女が自分で生計をたてなければならないように、彼もまた自分で何もかもしなければならない。端的に言えば主に食事の支度だが。
で、今日は早速我が家に来て夕食。

彼らが帰る際、今後のことについて少し話した。
すると、案の定、基本的に夕飯はわたしたちと食べたいと。つまり、わたしに用意して欲しいと。
そうだろうなぁ、と思っていたが。
彼はほとんど自分で作れないし。

でも、そうなると、今までのように適当にするわけにはいかなくなる。
毎日となると、食費だってバカにならないし。
やはりそれなりにシェアしなければならない。

ついでに、一緒に暮らすことについても少し話題になったけれど、いずれはそうなるとしても、今はまだ現実的にまだそれをするきもちにはなっていない。
家で自宅学習をしなければならない身にとっては、娘だけを世話して夜8時には寝かしつけをして、そのあと勉強に集中できるという今の環境が捨てがたいのだ。
うーん。自分勝手?

ただでさえ、最近になって少しずつ状況が変化している。
離婚の件で弁護士がみつかりそうなこと。
パートタイムに切り替えること。
ピルを飲み始めたこと。
東欧で開催される大きな国際学会に参加登録したこと。
今年から娘が学校に行くこと。

そのほか、わたしのプロジェクトのこととか、彼の就職のことを考えると頭は飽和状態で。
ただでさえ、離婚のこととか娘の教育とか、一筋縄ではいかない問題を抱えているから。
もちろん、彼に相談できるのだけど、離婚については日本の法律がからんでくるし、娘の教育は親であるわたしが決めなければならないし。
離婚にしても教育にしてもいちいちこの国と日本との違いを痛感せざるを得なくて、彼に相談すればするほど、日本の制度に腹が立ってくるのも事実。彼にこの国の常識を言われると無償にむかつくのはどうしてなんでしょう。

それに、仲のよかった保育園の仲間がそろいもそろって、この国を出て行かれるのを聞いて、たまらなくさみしくなってくる。
まぁ、ひと家族は半年で戻ってくるのだけど、そのころはうちも保育園から学校へ移るんだよね。

こういう状況にしたのは自分なのだけど。
この国に来ることを決めたのも、離婚を決めたのも、彼と一緒になろうと決めたのもわたしだけど。
激動の日々に、ときどきついてゆけなくなる。

責任を負うこと

彼が期待していた就職は、ダメになった。
非常に特化された範囲での就職情報だったのに、実際には応募者多数とかで、面接すらさせてもらえず書類だけで断られてしまった。
しかし、、、面接にもいけないとは。
彼の年齢の割には、キャリアを積んでいないことが、やはり不利に働いているのだろうか。

彼は何も言ってないけど(彼のお父さんから結果のことは聞いた)、その就職情報を入手したときには、面接を受けられるどころか、あたかもその仕事につけるような様子でうれしそうにしていただけに、蓋を開けてみれば面接すらも受けられない結果に終わったことはなんとも悲しい。
むしろ、わたしの方がショックを受けているような感じである。

というか、なんか彼は危なっかしいと思ってしまうのだ。
離婚を考え始めたとき、弁護士に出すレポートも、お父さんがたたき台を作ったと聞いたときには、ちょっとショックであった。
離婚が思い通りの条件でできたのも、お父さんの助力あって、いやお父さんの先導によってなされたことが大きい。

今の職場も、パートタイム勤務でフルサラリーが得られるのも、ぎりぎりの状況で試験勉強だけに専念できるのも、元奥さんへ資金援助できるのも、お父さんのおかげである。

わたしなど、誰の助けがないのもわかっているから、保育園が休みの土日に勉強することはあきらめ、授業が始まった9月から、娘が寝入ってから夜中まで勉強する日々が続いた。今年からは、パートタイムに切り替えようと思っているくらいだ。
だけど、彼は12月まで自宅での勉強はせず、クリスマス前から息子さんの育児を両親に全面的に委任し、ずっと勉強だけに専念する日々が続いている。
もっと早くから勉強すればよかったのに、と思ってしまう。彼はずっと9時ころに寝ていたのである。おかげで、クリスマス前から彼との時間は激減するどころか、わたしも息子さんの育児を手伝うハメになった。

いざとなったら、お父さんが助けてくれる。
そういう甘えというか、安心感にイライラしてしまうのである。
もし、お父さんがいなかったら、経済的困難から、離婚だってもっと早くから考えなければならなかっただろう。
問題に対して、もっと自分で取り組むという責任をもって欲しいのだ。

彼のお父さんは、小さいころから経済的に困窮する家庭に育ったそうだ。
両親の経済的な援助が望めないばかりか、むしろ両親そろってお父さんに相談にくる始末。
その結果、大人になるのがとても早かったそうである。
大学の在学中に、ある会社にパートタイムで仕事を始め、それと同時に結婚。21歳のときである。23歳で卒業し、同じ会社でフルタイムに切り替え、なおかつ大学で授業をもったそうだ。

貧しいために、学生のときから遊ぶことは一切せず、勉学に励み、貯蓄にも気を配っていたそうだ。
両親の姿をみて、自ずとお金のことに気を配るようになったのだという。
今でも、貯蓄のことを考えてしまうのは、そんなバッググラウンドがあるせいだという。
お金に限らず、どんな困難な問題も解決してきたのは、小さなころから両親に頼られてきて、自力で問題を解決しなければならないという自覚を促されてきたせいかもしれない。

わたしも、貯蓄癖があるのは、少なからず両親の影響が大きい。
うちは、経済的な余裕ができてきても、ケチであり続けた。

だけど、お金の理由で反対した両親の意思にそむいて、自力で大学院に行ったことは、自分の中ではいい経験になっている。
このとき初めて、自分の責任で何かをやりたいという意思が生まれた。
コンピューターゲームやインターネットで遊んでいるほかの学生を尻目に、わたしは院生活の一瞬一瞬をかみしめるようにして過ごした。
夕方アルバイトして、夜中に実験してという生活は苦でもなんでもなかった。
実際に、そのときの研究生活でこの国の研究者と知り合ったり、英語の論文を投稿したおかげで、今の生活があるわけだが。
限られた資金の中で、かけがえのないものにだけお金を出す。
そういうスタンスの方が、よっぽど意味のあるお金の遣い方ができるのだと思う。

時間もしかりで。
わたしは、子供を得てから、時間の使い方に気を配るようになったと思う。
いつも自分でどうにかしなくてはならない。
不測の事態はいつ襲ってくるかわからない。だから、問題を先延ばしにせずに、今できることをやってしまおうと。
夫みたいに、子供が寝てからコンピューターゲームなんて考えられない。
家事や勉強など、やらなければならないことをできるときにやっておかないと、いつまたできなくなるかわからないからだ。
夫がそういう非生産のことをするたびに、「アンタは、いつでもやりたいことができるからなー。論文書きだって、いくらでも遅くまでできるわけだし。」と心の中で毒づいていたものだ。

彼のお父さんみたいに、いつでも責任を負っているという自覚があれば、と思う。
責任感がないと、「どうにかする」ではなく、「どうにかなる」で、いい加減になるのである。

かけがえのないお友達


今日、日本人のお友達が、狭い我が家に遊びに来てくれた。
彼女とは知り合ってまだ間もないのに、不思議と波長が合うというか、時間を忘れるほどしゃべり通してしまう。
今回もまた別れがせつなかった。

しかし、思うのは、わたしたち30歳前後って、人生の分かれ道なんだなぁ、と。
結婚しているかどうかとか、子供がいるかどうかとか、社会的に成功しているかどうか、ということではなく、価値観の問題で。
お互い、友人関係は淘汰されていくね、と。
でも、学生時代の友人は減ったけれど、彼女を含めて味のある友人は増えたような気がする。

彼女もまた自分の考え方をしっかりもっているので、話してとても楽しい。
今回はこの国と日本の教育の比較について語り合ったのが印象的だった。
あとは、男の方が、苦しいきもちに対峙することができないよね、という話も。

この国は、親がやたら過保護のような気がする。
わたしは、子供にはどんどんチャレンジしてもらって、できたことの充足感を味わってもらいたいし、また次の挑戦へつながるようなモチベーションも育って欲しいと思うけれど、この国は子供にとってそういう機会が著しく少ない。
労働もないし、散歩も少ない。やたら室内で人形遊びとかカード遊びとか自分で創意工夫する必要のない遊びが多い。
そのせいか、自信のない子供が多いような気がする。いつでも無気力みたいな。
日本の方が、生き生きとした子供が多かった。
実際に、学校見学したら、あまりにも授業に集中してない子供が多かったそうで、ひどく失望したそうだ。

でもだからといって、日本の教育方法に賛同するかというと、そうではなく。
日本は、あまりにもひとつの答を出すことに注力しすぎる。
結果として、間違えないことばかりに神経を集中させて、純粋に学ぶことの楽しさを味わう機会に乏しくなってしまう。だから一時的に知識を多く獲得できても、本質的に身にはなっていない。試験が終わったら、見事にすべて忘れてしまう。
それに、何でもマニュアル。何でも何かに従おうとする。自分自身で解決する力には乏しい。
日本のような人生本の数々は、この国ではありえない。
こうやったら成功する、なんて、その方法を自分で生み出すぐらいじゃないと、結果は出せない。

自由すぎてもダメだし、、、厳しすぎてもダメだし、、、。
彼のお父さんに、この国の教育の懸念についてもらしたら、
「この市でそういう問題を聞いたことはないから、心配に及ぶことはないよ。」と。
娘も、今年の夏から、小学校に行くことになっている。
来週は、2校、説明会に行く予定だ。

男の方が、精神的に弱いのでは?というのは、男のほうが現実逃避をしやすいから。
夫はそれでトイレに行くときもお風呂に入っているときも、苦しいことを思い出さないように常に何かを読んでないと気がすまなかった。
彼も、コンピューターゲーム中毒だ。
タバコもお酒も、男の方が中毒になりやすい。
わたしの先輩などは、普段はとても寡黙なのに、お酒が入ると普段の鬱屈を発散させるがごとく、乱れるタイプだった。

女の方が、苦しさを受容できているような気がする。
とことん悲しむことができるのは大抵女だ。
男は、苦しさから逃げて別の道を選択するか、あるいは苦しいことを考えないように別のことにはまるか、が多いように思える。

だからこそ、夫も彼も、誤魔化しながらも、夫婦関係の問題から目をそらし続けてきたんだろうなぁ、と思う。
彼など、元奥さんとは一回もディープキスをさせてくれたことがないにもかかわらず、最初は彼のことを愛していたと信じていたぐらいだから。(注>元奥さんは浮気をするぐらいの人です。)

とまぁ、彼女とはいろんな話を深く話せるので、とても楽しいひとときだった。
知識があるかどうかではなく、自分なりの意見をもっているかというのも、ある意味30歳前後で分かれるような気がする。

幸福は自分自身によるもの

ランチのとき、ある人とふとしたことから、スマトラ沖の地震の話をした。

わたし「でも、すでに地震の情報は入手していたのに、なんで政府は何も言わなかったんですかね。まぁわたしも、まさかこれほどまでに被害が大きいとは予想もしてなかったわけですけど。あんなに離れたアフリカまでも死者が出るなんて思ってもみなかったですからね。でも、日本の場合、どんなに小さな地震でも即座に情報流しますから、ちょっと信じられないです。」

彼女「でもね。それは豊かな国だからだと思うの。アメリカも同じね。サンフランシスコの大地震のあとにセキュリティを強化したでしょう。でも、貧しい国ではそこまで人の命を重くみていない。現実に、毎日飢餓でたくさんの人が亡くなっている。地震による被害よりもはるかに多くの人が、飢えによって亡くなっているのよ。そんな国が、地震に対するセキュリティなんて考えもできないの。」

何も言えなかった。
こういうとき、日本人である自分を意識する。
日本人というバッググラウンドによって生じる価値観。

彼女は、英国籍であり、今はこの国の人と結婚もしているが、ご両親はスリランカ出身である。

地震によって、多くの人がアジアの現状に注目するようになった。
でも、以前から今ほどアジアの現実に目を向けることなんてあっただろうか、と思う。
日本は日本でいろんな問題が起きているし、悲惨な事件も多く発生しているが、豊かな環境を当たり前のように享受し、それを格別意識することもない。

******************

夜、彼のお父さんに、彼の離婚まで至る書類をほとんど英語に訳して読んでもらった。
すなわち、弁護士への手紙、元奥さんへの個人的な手紙、離婚の合意書である。
その中には、彼女の浪費ぶりが金額等も含めて赤裸々に記してあった。

今までもさんざん結婚生活の問題について聞いてきたが、さすがに具体的な数字を目の当たりにして、気分悪くなった。

彼のお父さんは、以前、あるお話をしてくれた。

ある漁業を営む男が、願いをかなえてくれるという不思議な魚を釣る。
男は無欲で、願い事などないと言うが、それを聞いた妻はいたく喜び、次々と願い事を言って、金銀財産を得る。
多大な財産を得たのちも、妻の欲求はとどまらず、魚は疲労困憊。最後に男に「あなたは家を出なさい。」と助言し、男は家を出る。

というお話。
いくら欲求がかなえられなくても充足できない。
そんな人は、最終的には何も残らない、ということを訓示にこめた話である。

高価なものを買ってもらい、何度も母国へ帰る旅費、滞在費等々つぎこんでもらっても、感謝するどころか、「またお金が欲しい。」と無心し続けていた彼女。
だけど、いつも彼女は文句ばっかり言っていたそうである。
あれしてくれないからどうの、とか、これしてくれないからどうの、とか。

お金やものに限らず、人の欲求はとどまらず、
恋愛しなければダメとか、
結婚しないとダメとか、
子供がいないとダメとか、
立派な仕事をしていないとダメとか、
やりがいのあることをもってないとダメとか、
いろんな欲求によって自分自身を追い込んでしまう。

あるブログで、「人の幸福を素直に喜べない、自分は弱い人間だ。」というコメントがあったが、
強い弱いではなく、何ももってなくても、それが自分なんだと認めることが大事なのではないか、と思う。
それがあって、初めて、幸福にみえる人の抱えている苦しさもみえてくるのではないだろうか。
そうじゃなければ、いつまでも満たされない自分自身によって苦しむことになる。

***************

今日、夜の12時近くまで家庭教師をした。
彼女は、成績のことでひどく落ち込んでいた。
はっきりいって、わたしが得た評定よりも高い数字を彼女は得ている。

わたしは言った。
「わたしの方が、もっと低い評価だよ。でもわたしは落ち込んでいないな。だって、成績って単なる過程じゃない?学ぶことに終わりはないわけで、わたしはこれによってもっと学びたいと思えるようになったから別にそれでいいなと思っている。」

現実を受け入れて、それからどうするか決めるだけ。

******************

貧乏で、頭悪くて、不器量な自分。
そんな自分が、社会の中で何ができるのか、頭悪いなりに考えている。

スマトラ沖の地震で募金活動したという友達を、尊敬している。

学ぶということは(3)

偶然であるが、同じアパートに、日本人の学生さんが住んでおられる。
別に意図していたわけではないが、彼女がこのアパートに来た9月から年末まで、殺人的に忙しかったので、ほとんど会話を交わせることもなく、今に至ってしまった。
それが、昨日、偶然大学の学食で会ったので、翌日一緒にランチしましょうと約束した。

そして、今日、一緒にランチしたのだが、偶然また別の日本人の学生さんが来て、一緒にごはんを食べた。
彼女はこの大学の正規の学生であるが、別の学生さんは日本の大学からの交換留学生。他にも10数人いるそうな。
この国はとてもマイナーなので、去年は他の日本人一人もみかけなかったのに!と驚いていたら、どうも去年の9月からこの国と日本の間で交換留学の制度が始まったようだ。

だけど、どうもその実態はあやふやなようで、要求されていることは何もなく、何をするかは本人次第とのこと。こっちで単位をとっても、それが日本でも認められるかどうかも不明だそうだ。
したがって、彼は授業をとらず、修士のテーマとはまったく異なる研究を今やっているようだ。
で、単純な質問として、何のためにこの大学に来たのかと聞いてみると、「交換留学制度が始まるという情報を入手したから。」というなんともあやふやな返答。(というか答になっていないような。)
まぁ機会があったから応募したといったところであろう。

そして、同じアパートに住む彼女も、会社を休職して来ているものの、特に仕事に関係のある分野というわけでもなく、かといって学んだことを将来に生かす道に進むかどうかは決めてないそうだ。
今は、とても厳しい単位取得要件を満たすために、ひたすら授業や課題に励む毎日である。
今履修している短期集中授業は、たまたまわたしが専門とする分野であるので、早速家庭教師を頼まれてしまった。
どうして反応が起きるのか、ということから、少しだけエネルギーの話をしたけれど、まったく知識がないらしく、本当に基本から教える必要があるようだ。

なんか、やっぱり、違うなーと思ってしまう。
まぁ、目的も、何を学ぶのかも本人次第だから、わたしがとやかく言うことではないけど、日本人は環境に求める傾向があるように思えてならない。
特別な環境に身を置けば、何かを得ることができる、というような。
現に、最近留学情報誌もたくさんあるし、旅行代わりに短期留学する人も多いと思う。
何かをするため、というよりは、何をしたいのか見つけるために海外に留学する、といったところだろうか。
目的すらも環境に求めているような気さえする。

わたしの彼は、今、大学生である。
でも、学位は別にいらないという。
30歳のときに、それまでばりばりの数学者で国立の研究所に勤めていた彼が、机上にしかありえない学術的分野ではなく、もっと実社会に還元できるような仕事に就きたいと思い、そのためのバッググラウンドを積むため、大学で学ぶことを選んだ。
どうも、大学生のときに、夏休みを利用して、ある会社で膨大な顧客のデータを整理し、会社にとっていかに無駄があるのかをレポートに書くという仕事をやった経験から、ずっとその分野に興味があったのもひとつの理由らしいが。

英語の授業で知り合った女性は、かなり英語が堪能で、単位もすでに要件をみたしていたので、なんで授業を受けているのかと聞いたら、「この返された課題みてわかるでしょ。わたし話すのは得意だけど、書くのは苦手なの。だから書く能力を改善するためにこの授業受けているの。」と。

環境に何かを与えてもらうのではなく、環境の中で自分が何を得るのか。
学ぶって、そういうことなんだと思う。

ちなみに、彼は数学者であるが、化学は苦手といいつつも化学反応の本質を知っているし、歴史などにも詳しい。とても話題が豊富。
学ぶことのセンスをもっているような気がする。
興味があれば自分でどんどん学んでいく。

どんな環境であろうとも、刺激を受けるかどうかも、いかにそれを自分の中に取り入れることができるかどうかも、本人の感性によるところに大きい。

本当の絆


クリスマスイブのときの写真。
(珍しくホワイトクリスマスだったそうだ。)
彼のご両親宅は自然豊かなところにあり、このとおりソリ遊びする場所に事欠かない。

***************

今週は、なんだかんだいって、毎日彼のお父さんに保育園のお迎えを代行してもらっている。
娘も、とてもうれしいようだ。

やっぱり、子供って、洞察力にすぐれていて、本当に子供が好きな人をかぎわけて近づくものだ。
わたしは、本質的に子供が苦手なので、やっぱり子供に人気がない。
彼も彼のお父さんも、真の子供好き。
本当に幸せそうに遊んでくれる彼のお父さんのことが、娘は大好きなのである。

彼のお父さんは、毎日娘を連れて買い物に行っているそうだが、青い瞳をもつ紳士が、黒い髪黒い瞳をもついかにも純東洋人の子を連れていたら、まったく知らない人にとってはアダプトの子と思われるかもしれないが、ちょっとした知り合いにとっては好奇心の的になるらしい。
以前隣人だった人に店でばったり会い、「あなたのお孫さんですか?」と聞かれたそうだ。
そのとき、「いいえ」とも「はい」とも言いたくなかったそうだ。
「いいえ」と言ったら娘を傷つけるし、「はい」と言ったらそのための長い説明をしなければならない。
親しくもない人に、彼の離婚のことや新しくできたガールフレンドの話などしたくないであろう。
結局、軽く「いいえ」と言ってそれ以上は何も語らないまま隣人の人は去ってくれたらしいが。

娘は、彼のお父さんが、本当の祖父でないことは痛いほど認識していると思う。
娘は、彼のお父さんには決して逆らわないし、わがままを言わない、きわめて従順な子であるらしい。

お父さん「初めてあったときの方が、もっと「わたしが」「わたしが」と自分を主張していたような気がするけど、今はもっとおだやかになったような気がする。それが気がかりで。」
わたし「それは、今あなたのことが本当に好きだからです。でも、本当のおじいちゃんでないこともわかっているんです。あなたに嫌われたくないから、あなたには素直なんだと思います。」

娘は本当に賢いというか、ものすごくよく気がつく子供である。
生まれてから、いろんな人に関わってきたけれど、常に状況をよくみている。
決してわたし以外の人にはやんちゃを言わない。
それどころか、よく手伝うし、いろんなことに気がついてそれを報告してくれたりもするんだそうだ。

だから、わたしの挙動にもものすごく敏感である。
もっと気をつけなければならないんだけど。

彼のお父さんは、娘に、「嫌われる心配」をして欲しくないようだ。
本当の「孫」のようにかわいがってくれている。
たとえ血がつながってなくても。