いまのしゅんかん
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Enhed〜ひとつになること、とは

また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内にあり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣いになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。

(ヨハネ 17:20-26)

 

聖書の学びのために地元教会に行ってきた。

明後日の昇天祭と、来週末にある降臨祭の合間の日曜日の礼拝のテキストとして、逮捕される直前のイエスの祈りが引用され、語り合ったが少人数ながらも結構盛り上がった。

 

もっぱら、「一つになること」に対する疑問の投げかけだった。

残念ながら、昨今戦争ばかりでとても一つになれてないけど、だからと言って異なる人間同士、同じになる、ということが「一つになる」ことの意味ではないことは明白であり。

違う宗教どころか、同じキリスト教でも宗派によって教義が違っていたりする。

例えば、デンマークでは子供受洗が一般的だけど、バップティズム教会は成人洗礼しか認められない。

 

牧師さんが、これから結婚式シーズンに突入するけれど、バックグラウンドも何もかも違う二人が一つの対になる、というのもまさにそういうことだと。

 

そう、私も三度目の結婚にして初めてそういう感覚を味わっている。

私たちは互いに個であることを尊重し、仕事も趣味もそれぞれ持っていて(私は茶道と聖書の学び、彼はウルトラレース、木工作業、音楽)、さらに私は子供がいるけど彼には子供はいなく、共有できないこともたくさんあるけど、最も一体感を感じている。

 

人間一人一人違ってていい、けど、じゃあ「一つになる」というのはどういうことだろうか、と。

 

それで、最近旬のコンファメーションの話になり、ティーンネージャーの気持ちを掴んだのは、「自分はもう愛されている」ことを信じられるようになったことだという。

引用聖句の、「彼らをも愛しておられた」とあるように。

その「愛されている」と信じることが「一つになること」の基礎なのかもね、と語り合ったのだった。

そして、自分だけでなく、他の皆も「愛されている」ことを信じ、自分のフィルターで人をジャッジしてもいけない、人の違いを受容することが大事なんだろうね、と。

 

私と彼も、もちろん共有できることがたくさんあるから関係も深くなっているけど、でも根本は相手を一人の人間として尊重しているからこそのrobustな関係なわけで、もし私も彼も自分が自分を受け入れていなければ、こんな関係を築けなかったと思う。

自分も相手も無条件に価値がある存在と認められなかったら、どうしても目に見えるもので自分も相手もジャッジしてしまう。

こんな嫌なことをされた、こういうことができないのがムカつく、などなど。。。

 

だからなのか、前夫が靴下を脱ぎ散らかしていたら無性に苛立ったが、今の彼が下着付きのスェットパンツの抜け殻があっても可愛いと思ってしまう。パンツを引き離して洗濯カゴに入れるのは私だけど不思議とイライラしないのである。また、前夫が財布を失くすたびに腹立ったが、彼も3回くらい失くしているけど何とも思わず冷静にどうするべきなのか考えられる。

そして彼は、私がイビキをかいていても愛おしい、、と思うそうである。当初はよく鼻をつまめられたが、今はされない。もうイビキをうるさいと思えなくなり、その隣で快眠できるようになったからだという。

 

私が、伝道には興味ないけど、すでに愛されている存在なんだよ、ということは伝えたい、だけど実際には、目に見えるものしか信じにくくて、なかなか伝わらなくて難しいと言った。

それは牧師さんにとっても課題のようだ。

だけど、それこそが私たちに課せられたことなのかもしれないと言われた。

テント泊

昨日はカレーを食べた後ビールを飲み、22時半頃にシャワーを浴びに行き、また0時過ぎまでビールを飲み、0時半くらいに就寝、5時くらいに明るさで起きてしまったが、トイレに行った後二度寝できたし、概ね快適にテントの中で寝られた。

ちなみに、寝るときは上はTシャツにフリースにダウンジャケット、下はスェットパンツだったが、朝になると暑くなってきてダウンは脱いだ。

先週末ノルウェーでテント泊した時は、やはり上はスキー用アンダーシャツ、厚手のフリースにダウンジャケット、下はアンダーレギンスにスキーパンツだったが、寒さで夜中に起きてしまいしばらく眠れなかった。最低気温は0度だった。

今回は最低気温が8度くらいだったけど、朝は暑いくらいで、今の時期が一番ちょうどいいのかもしれない。

12年前に行ったロスキレフェスティバルは7月頭だったこともあり暑すぎて地獄だった。

 

バンで車中泊する時にも重宝しているけど、Expedのエアマットレスは神である。中がピラー構造になっているのか、本物のマットレスの質感に酷似していて快適。普通のエアマットレスは変な抵抗があって私は苦手であり。

 
朝食はインスタントラーメン。
 
ノルウェーのロッジでご一緒した夫妻が朝食にラーメンを作っているのを見て衝撃を受けたが、先週末ノルウェーのキャンプ場でラーメンを作ったら、思いのほかよく。
簡単だし、温かいし。しかも朝からスープが飲めるというのがありがたく。

 

先週末は天候が悪かったのでキッチンで。

 
今日はテントの中で作ったけど、やっぱり外で食べるラーメンは美味しかった。
ノルウェーのキャンプ場に比べると、キッチンのファシリティは充実してなく、全てキッチン用具と食器は持参する必要があるが、たまたまテントの近くに水場があり、不都合はなかった。洗剤は持参してなかったので、お湯だけで洗い、袋に入れて家で洗い直した。
何よりも、テントで炊事し食べるというのが楽しかった。
 
たまたま知人がトルコ旅行中でカッパドキアで気球乗りに申し込もうとしたら450€と言われたらしい。
今の時勢、有名観光地って、どの国に行っても高くふっかけられるのかな、と思った。
去年のギリシャとポルトガル旅行で、ものすごく楽しかったけど、あまりのオーバーツーリズムと、タクシーのふっかけに辟易し都市への旅行のモチベーションが下がりつつある。
それはそれで文化的な知的好奇心が満たされ面白いし、イスタンブールとかまだ行ってみたいところはあるけど。。
とりあえず予定していることは、茶道以外は自然のアクティビティばかりである。
来週はイタリアにトレラン旅行、再来週はまたノルウェーに行き、スキーブーツでツボ足で雪山を登るトレーニングをしようかということを考えている。
 
だけど、近場でもキャンプが楽しいことがわかったので、また突発的にやるかもしれない。

山→キャンプin Denmark

先週末が楽しかったので、この週末は、、、

 


コペンヒルで坂練して獲得標高700m超えして、

 

家から6kmのところにあるキャンプ場にテント張り

 



テントの中でカレー作り

 

先週末会ったノルウェー在住夫妻がキャンプ場でなくとも縦走登山とかでも自炊していることに刺激を受け、わたしもやってみたいと、山岳用の簡易コンロで自炊するべく、わざわざキャンプ場を予約してテント泊することにしたのだった。

デンマークはテントを張れる場所が制限されてるのと、水をとれるのが限定されることもあり。

ノルウェーだとどこでもテント張れるし水も問題ないが。

ファシリティが充実したキャンプ場でキッチンもあるけど、水だけとってきて具を切るところから調理するまでテントの中だけでやってみた。

簡単だからカレー。それに肉よりも便利なツナで作ってみた。ノルウェー在住夫妻も腐らない食材に腐心してたので、ツナ缶は使えないかと。

油ごと全部ぶっこんでみたが、美味しかった。。テキシチャーはほぼチキン。

ツナ入りラザニアも美味しかったし、ツナ缶のポテンシャル大きい。

 

ご飯は、彼にお任せした。一時期コッヘルで炊くことに嵌っていたそうだ。

水は私が適当に入れたが、完璧な炊き具合だった。

 

こういう設置されているテントに泊まる人がほとんどで、テント泊はたぶんウチらと他一組くらい。

 

テント、、ヒュゲリだけどなー。嵌るかも。。


25年後

今、5つものプロジェクトを並行しているので、滅茶苦茶忙しく、昨日今日とラボに篭りきりである。

コーヒーを入れたサーモとお弁当を持参し、終日実験しまくっている。

 
バウムクーヘンみたい、、と思いながら実験用に切り出し。

持ち運ぶだけでチクチクし、うっかり素手で触ったら、棘が刺さったので、コロナ禍で残っていたマスクを持参し久しぶりにマスクをしながら作業したが、おかげで実験はうまくいった。

 

昨日のお弁当。サバ缶、インゲンのかき揚げ、塩昆布、生野菜という即席弁当。

 

今日はキムチチャーハン。

 

昨日の夜はお稽古。

 
炭点前なので準備と片付けで時間がかかり、しかも久しぶりに着物を着てお稽古したら、途中から苦しくなってしまった。。
週末に山スキーで遠出をし、週明けから仕事もバタバタだったから疲れたのか。
しかしまぁ、おかげで毎日が充実している。
Linkedin上でのメッセージと、個人メール宛に、ある会社からジョブオファーのメッセージが来たのだけど、この時勢ありがたいことである。確かに要件はマッチしているけど、興味ない分野なのでアプライしないけど。
 
ノルウェー在住夫妻に、多くの年配を見て大変そうだなと思うけど、山で出会う年配の人を見ると、歳をとることに希望が見えてくると言っていて、確かに、、、と思った。
もう8年くらい前になるけど、高校の同級生と集まった時に、多くが高校の時が人生で一番楽しかったと言っていて複雑な思いにさせられたのを覚えている。私にとっては、高校の時が人生で最も暗黒時代だったからである。私が若い時は、非力で苦しかった。
歳をとるごとにいろんなスキルをつけてきて、むしろどんどん楽しくなってきている。
 
私が新卒で入った会社が業績悪化で大規模レイオフをするというニュースを見て感慨に耽った。
分野外だったにもかかわらず、一部上場で大企業だからとアプライし、厳しい採用試験を経て内定をもらい入社した。
自分の専門性を生かせることよりも、安定していることを期待して会社を選ぶ愚かな私だった。
どうにも仕事を楽しいと思えず、妊娠と結婚で大阪に引っ越すことになり、25年前に辞めたけれど、あのまま続けていたとしてもどうだったのか。
同じ業界内の別企業に就職した同級生は、長年携わっていた事業が閉鎖し、門外漢の部署に異動させられ嘆いていたが、今や40年と安心して同じところにとどまることがどだい不可能かもしれない。
 
25年前は将来の展望なんて何もなかったけど、まさかこういう今になっているとは、である。

語らいを通じて

 

この週末旅行は、アクティビティだけでなく、彼らとの語らいもまた楽しかった。

100%の保証もないし、100%の解があるわけでもないし、100%の因果関係があるわけでもないし、自分の力ではどうしようもない、自然の性というものを受容している鷹揚さがとても心地いいものだった。

 

私は本格的に山のアクティビティを始めてまだ数年だし、山スキーに至ってはガチにやるようになったのは今シーズンからで、自分の思い通りにならないことばかりでパニックになり、今までいかに自分でコントロールできていると思いあがってきたことを痛感していたところである。

天候なんて秒単位で変化するし、雪質も時間で変化する。その度に、どうするべきか判断しなければならない。

 

奥さんは10代で病気がみつかり、その原因もこれといってなく、かといってもしかしたら命を落とすこともあったかもしれないのに、決してその宿命を恨むでも嘆くでも悲しむでもなく、淡々とその現実を受け入れ、むしろ回復してこうしてアクティビティに励むことのできる今に感謝し愉しんでいるように見えた。

病気なんて、100%防げる術もないし、100%確実な因果関係があるわけでもない。多少の相関性はあるにしても、運に左右されることも往々にしてあり、せめて発覚したときに、できる限りよくなるようにベストを尽くすしかない。わかりもしない原因を追及しあれこれ気に病むのは本末転倒で、そうなった現実を認めて対処していくしかないと思う。

 

そんな二人は、信頼と尊敬で確固たる関係を築いていて、本当に仲がいいのがよくわかる。

尊敬って、別に職業とか年収とかからくるものではない。その人のありようをそのままリスペクトするということである。

だけど、彼らは今までさんざんいろんなアクティビティをやってきて、中には難易度の高い夏季登山における自炊の食糧事情についてもいろいろ話を聞いて、今まで二人で一緒にやってきた経験を通じて熟成させてきた関係なのだろうな、とも思った。

 

わたしたちも、まさに経験を通じて互いに刺激を与えあい、困難を乗り越え、関係を深めてきた感じ。

1月にあったバッテリートラブルも、予想外の足止めではあったけど、モーテルでじっとするほか何もできなかったのにバッテリーのことをいろいろ調べて勉強になったし、あれはあれでいい経験だったと思う。

トラブルではないけど、今回サウナで、水をかけるとなぜ熱風が来るのか、という問いに対しても、熱容量?熱伝導?気化熱?と、二人でウンウン考えるのも楽しかった。だから、本当に一緒にいることが飽きない。

 

彼らは足を地につけてしっかり生きているように見える。

そういう安定感は年齢は関係ないのかもしれない。

Gaustatoppen

土曜日の山スキーについてもっと詳細に書きたいと思う。

 

4月は、ストックホルム訪問と桜祭りがあったため、なかなかノルウェーに行く時間がなく、さすがにイースター以来一か月近くもご無沙汰していると恋しくなってしまい、桜祭りの翌週末に早速ノルウェーに行くことにしたのだった。

一応、山スキー仲間のノルウェー在住夫妻に声をかけてみると、テレマーク地方で最高峰のGaustatoppenに行くことを考えているという。

 

Jotunheimenは遠いし、テレマーク地方であればわたしたちにとっても行きやすいところではあるので、ご一緒させてくださいと言って急遽便乗させてもらったのだった。

後で知ったのだが、実はご夫妻はキャンプ場泊をメインにされていて、山スキーはおまけのようなものだったという。ほぼ一年前に同じところに行ったときは、カチカチの雪質でスキーは全然楽しくなかったそうである。

しかも、4月はデンマークもそうだけど、ノルウェーも寒かったらしく、春スキー典型のザラメ雪の期待もできず、やはりカチカチかもという予想もしていたとか。

あまり楽しくないかも、と言われていたので、私も戦々恐々としながら山へ向かったのだった。

 

 

しかし、あまり高い山のないテレマーク地方で、下界にもほとんど雪がないのに、突如真っ白の山が現れたときは心が躍った。

独立峰で、軍事目的にも使われた山で、それだけに風の影響をうけやすく、滑るのはそれほど楽しくない山だそうである。

 

 

しかし、風もない上、快晴で山頂まで一気に見られるという絶好の気候状態だったうえ、

 

 
登り始めると、固くもなく、かといって湿ってもなく、シールもよくかむ、登りやすく滑りやすそうな雪質で、一気にテンションがあがった。
スローペースのわたしに奥さんがびっちり付き合ってくれて、おしゃべりしながら一気に登っていく。ものすごくハイペースではないが、息が上がる様子もなく淡々と登る彼ら、、、
流石に私はバテテきて、さらにペースダウン。。

 

 
獲得標高600m、頂上まで標高差100mで目と鼻の先、というところで、どうしても力が出なくなり、申し訳なくも行動食補給タイムをとらせてもらった。

 

ブレイクを取ったあとも最後は斜度もちょっとあって、かなりきつかった。。。

 

実はNATOの施設だったこの山は軍事目的にケーブルカーも作られていて、20年くらい前に観光客も乗れるようになり、降り場の近くにヒュッテもあった。今は売店だけあるが夏には泊まることもできるらしい。

ケーブルカーに乗って普通のアルペンスキーで滑走だけすることも可能。

 

わたしはバテてたのでホットチョコレートで一息。。

第二次世界大戦中、ナチス軍による重水工場の接収を阻止するための軍事オペレーションについて。

ハイドロという会社だったそうだが、もしかしてアベンジャーズに出てくるハイドロという秘密結社の設定はこれからインスパイアされてる?ノルウェーが出てきてたし。。

 

休んだ後、壺足で電波塔まで登ったが、これが実は一番難しかった。

本当はスキー板を担いで上でトランジションするべきなのにその余裕はなく壺足で登ってヒュッテ近くまで下りることに。

イースターの時も山の上で壺足での移動に恐怖を感じたが、スキーブーツの壺足が苦手なことを初めて自覚した。

はっきり言って、Galdhøpiggenで壺足登山する自信は一気になくなった。

 

絶景をバックに夫婦で撮ってもらった。

なんでも、独立峰のためノルウェーの1/6の土地を見渡せるそう。

 

そして、壺足で下りてスペースがあるところでトランジションしたが、平ではないのでスキー板にはめることに難儀した。

やはり電波塔の平なところで板をはめるべきだった。。

 

滑り出しは斜度があるし、狭くて耕されまくってボコボコだったので恐る恐る滑る。。

 

そこからトラバースしてフレッシュな雪が多めの斜面で滑走!

 

 

非整地と思えないほど平らで、雪も柔らかく、かと言って重くもなく、滑りやすかった。

それでもゲレンデではないので、スピードを出して岩とかにつまづくのが怖くてスピードを殺しながらだったから、途中でバテバテ。700m滑り下りるのもなかなか太ももの筋肉への負荷が。。

 


かなり満足の山行だった。
 
4月末にこんなに楽しい山スキーができるとは期待していなかっただけに、嬉しい1日だった。
逆に、こんなに何もかも恵まれた(視界良し、無風、雪質よし)山スキーなんて今後もあるかどうか。。。
今回、上りは曇っていて、下りは晴れていていたので、よりパーフェクトだったという。
かえって一日中晴れていると、雪が日光にやられて滑りの楽しみが半減するそうである。
そういえば、Glittertindenも山頂で晴れたのだけど、かなりパウダースノーに近い滑走だったのもそのせいだったのか。
実はノルウェー在住夫妻とは何度も会っているのに、一緒に山スキーするのは初めてで、最初の山行でこんなパーフェクトだったのはラッキーだった。ただでさえ熟練の彼らの足手まといになるのが不安だったので、せめてコンディションがよく何よりだった。。

山スキー→キャンプのフルコース


 

ノルウェー在住夫妻と一緒にテレマーク地方最高峰Gaustatoppenに山スキーへ。

 

 

獲得標高700m、私一人バテバテだったが、登りやすく滑りやすい、最高の山スキーデーだった。

春と思えない雪質のよさ。

 

キャンプ場で自炊し(私は雑炊を作り、彼らは肉を焼いてくれた)

 


サウナも。湖で水浴びも。

 

美しすぎる。。

 

サロンの美容師さんになぜ山が好きなのか聞かれたけど、多分、山ではその瞬間が必死で、日常の嫌なこと全てどうでも良くなるから、だと思う。

実は奥さんは大病の経験があり、今の人生を頂き物として生きているのだそう。まだ20代なのにやたら精神的に成熟しているのはそのためか。

不満ばかり追及するのではなく、今生きていることを感謝しながら生きるのは素敵。

 

雨音を聞きながらシュラフでぬくぬくするのもヒュゲリ。

階級意識への違和感

昨日、二つ嫌なことがあった。

 

一つは、彼が森でトレーニングしているときに、坂をループしている際、ゴアテックスのハードシェルを木にかけていたら、50代60代くらいのデンマーク人女性に持っていかれてしまい、なんとか彼女を捕まえたもののなかなか返してくれず、結局取り返すことはできたもののその人の悪意を感じ嫌な気持ちになったのと、二つ目は、茶道のグループでのオンラインミーティングでどうしても分かち合えない価値観を感じたことである。

 

最初、彼から持ってかれて無くしそうなところだったと知った時は、かなり高額のハードシェルだし盗難目的を疑ったが、森近くの高級住宅地を歩いていて、二日前にも遭遇したのでかなり裕福な地域に住んでいそうなのと、見た目的にもお金持ちそうな人で、転売しそうな感じではなかったと。うちらには高額でも(5万円ほど)、その人には端金だし。

かといってゴミと勘違いして捨てるつもりだったのなら、すぐ返してくれただろうし、二日目に彼とそのハードシェルを凝視していたというから、名前は書いてなくても彼のハードシェルであることがわかっていただろうし、取って行った目的はまるでわからなかったと。

 

ただ一つ考えられるのは、彼のハードシェルと認識していた上で、嫌がらせのために意図的に取って行った、ということである。

彼が彼女を捕まえたとき、別に彼は責めるでもなく(私だったら、「なぜ持って行ったのか!」と感情的に怒りそう)、「そのジャケットは僕のなんです。返してもらえませんか」と優しく聞いたのに、「そこにかけていたのがおかしい!」と彼を非難する感じでなかなか返してくれなかったそうだ。

結局、かなり頻繁に森の中の坂でトレーニングをしている事情について説明して返してくれたという。

 

正直、5万円というのはどうでもよく、そのハードシェルはデンマークでは売ってないもので、来月のLofotenのウルトラレースで、悪天候で悪路でも耐えうる唯一のハードシェルという入手しにくくて貴重なものなので、なくしたらパニックになるくらいクリティカルなものだっただけにショックであった。

散々170kmレースで使ってきた汗が染み付いたハードシェルを好き好んで持っていくだろう。(いや、ちゃんと洗濯してるよ!という彼のクレームが聞こえそう。。)普通だったら気持ち悪くないか?(気持ち悪い??ショック、、という彼の声が聞こえそう。。)それを、わざわざビニール袋に入れて持って行ったことに悪意を感じてしまったのである。

そんなに、森でアジア人がトレーニングしていることが気に食わないことですか???

 

デンマークのトレラン界は、インテリでハイキャリアで人格者が多く、とても清々しい世界なのだけど、たまに森の中で一般人、特に高齢のデンマーク人女性に、ローリングアイをされたりするそうだ。

ノルウェーでは、アジア人にも気さくで気持ちの良い人ばかりに出会うのに、デンマークの森での一般人による差別意識に時々凹まされるのである。

 

その直後にあった、茶道のミーティングもイマイチだった。

私の、大使館のゲストばかり優遇して、一般人のアクセスに乏しい意見は取り入れられたが、特別待遇することのおかしさに関しては誰も同意してくれなかった。

大使館には畳と風炉を借りているので、そのお返しもしたいし、やはり大使には敬意を示したいということであった。

 

なので私ははっきり言った。

「私は、大使が偉いなんて、ちっとも思ってませんよ。」

むしろ、大使館の事務処理がイマイチすぎて、大使館なんて、、と思うほど。

私からすれば、公務員は、ザレンスキーの「国民の僕」である。

国民から敬意を示される立場なのではなく、むしろ逆で、国民の為に、日本という国に、日本人社会のために尽くすべき役割を持つ人たちという認識である。

それなのに、コロナ禍でパスポートを発行できない日本に家族もいなさそうな高齢の日本人女性が領事館で懇願しても、「それでも、、戸籍謄本を取り寄せてもらわないと、、」という対応はまずかろう??(まぁ今は戸籍謄本が必要なくなったらしいが。。)

 

一人一人役割を持っているだけで、それに上下関係はないはずというのは私のありえない価値観なのだろうか?

ビザフリーで仕事探ししていた美容師

 

今日は一年振りに日本人美容師さんのサロンへ。

本当は、イースター前に切りたかったのだが、気がついた時にはもう予約できず、だいぶ先になってしまった。だけど、同じ長さにしてもらったのに切ったのは10cmくらいだったから、スパンが開きすぎということでもない感じ。

どうも、加齢と共に髪の伸び方も遅くなるらしい。血行不足が原因とか。ガーン。。

 

気になっていた人の話をしたら、やはりご存知であった。

去年の秋ぐらいに、ある日本人美容師がビザフリーでデンマークに来て、経済的にかなりギリギリの状態だったためお小遣い稼ぎをしようとしていたのと、デンマークで労働ビザを取得したいので仕事を紹介して欲しいなどの書き込みをFBのグループページにポストしていたのだった。

どうもその人はビザフリーのことを「観光ビザ」と言って「移住」のつもりで自分のサロンを閉めて全て引き上げてきていたが、11月の寒い時期にテントで寝泊まりしたり、誰か親切な人の家に泊まっていたりとか、40歳くらいなのに危なっかしい人で、気になっていたのだった。

 

結局、何の成果もないまま、ビザフリーの90日間が切れる直前に日本に帰国したらしいが、やはり彼女にコンタクトしてきて、雇ってくれないかどうか、また美容師道具を譲ってもらえないか聞いてきたらしい。

私も好奇心で聞いたのだけど、美容師というのは、デンマークでも日本でも、自己責任で顧客を獲得しなければならないらしい。まぁ美容師がコミュニケーションを取りたがるのは、そのせいもあるのだろう。

私は無頓着で指名を使ったこともないので無知だったけど、漫画「きのう何食べた?」を読んで、やっぱりそうだったのか、、と。ちなみに、うちの会社はパートナー会社なので、同じようなシステムの弁護士事務所の事情が描かれているのも興味深い。

 

その方も10年前デンマークで美容師として働き始めた頃は大変だったそうで、コツコツと築き上げてきた自分のサロンに、顧客獲得なしにただ切らせてください、というような人を雇うような余裕は当然あるはずもなく。家賃や光熱費の負担だってあるわけだし。

それは、うちの会社も然り、である。

うちも、自分でプロジェクトを獲得するようなポテンシャルを持つ人でなければ雇えない。

 

自分で客を捕まえなければならないことはわかっていただろうに、営業なしで美容師の仕事だけで労働ビザのスポンサーになってくれるところを探していたなんて無謀というかなんというか。

それとも、デンマークは裕福な国だから、営業をしなくても客がわんさか来ることを期待していたのか。

デンマークは資格がなくても美容師として働けるそうなので、より競争率が激しそうだが。。

 

今週末、久しぶりにノルウェーの雪山に行くので、坂練をした。 

なんとか獲得標高330m。

山が恋しい。。。

私たちの老後

土曜日の打ち上げのとき、私夫婦と友達以外皆年金者だったこともあり、年金の話になった。

なんでも、45歳の友達は、個人年金会社とのミーティングで72歳から年金を受給することを言われたそうだ。

 

それに対し、51歳の私の場合、Pension Infoのプラットフォームでみると、、、

 

一応69歳からということになっている。

個人年金のひとつは10年間多額でもらい、もうひとつは少額でパーマネントというもので、79歳からは受給額もガクッと下がる予定である。

これでも、わたしがデンマークに来たときはもっと早かったはずで、このプラットフォームを見始めたときには67歳だったような気がする。

結局、少しずつ延期されていくような。。。

 

一番直近で年金者になった二人は今年70歳で、確か二人ともコロナ禍に入ってすぐに年金者になった覚えがあるので66歳くらいでリタイヤしており、なんという違いかね、、と友達と言い合ったのだった。

まぁ他にはそもそも働いていなかった人もいるし、むしろ日本人で個人年金もばっちり入金していたという人は少ないので、今でも経済的にそこそこ余裕があるというのは、そのメンバーの中では茶室をもつデンマーク人くらいではあるが。

わたしもそうだけど、友達もわりと慎重なタイプで、給料のかなりの割合を個人年金にかけてきているという。

 

彼女と言い合ったのは、まずひとつは、70歳を超えても今のように働けるのか、という不安と、もうひとつは、むしろ私はこれをもっとも懸念しているのだが、あと10年たっても、わたしができる仕事があるのかどうか、ということである。

正直、60代になれば、収入が減っても負担の少ない仕事に変わるのもありかな、と思っているけど、例えば実験アシスタントとか分析の仕事に変わりたいと思っても、そういうシンプルなポジションほど機械化によって少なくなっている可能性がある。

この直近10年間をみても、時代の変化で仕事のやり方が激変し、常に勉強しなければタスクはもらえない状況になってきたが、50代くらいまでは対応できてきたけど、60代になってもそういう働き方ができるのか、自信はない。

ただでさえ更年期でやる気の喪失やひどい頭痛と戦ってきたのに、さらに心身ともに衰えていくであろう今後も引き続きこういう仕事ができるのか。

友達もコンサルの仕事をしているけど、ただでさえ単価が高いので、今後節減されるリスクもなきにしもあらずで、より単価に見合う成果を提供できるのか不安だとのことだった。

 

とはいえ、私はできる限り長く仕事は続けたいと思っているけど。

実験室から遠ざかるのもちょっと想像できない。。。問題は、いつまでもいられるかどうかで。。。

 

 

ちなみに、在外日本人でも、将来は日本に戻りたいという呟きが散見されるが、正直、今の日本と20年後の日本を同じように考えられないのではないかと思っている。

すでにロギスティックの問題が出てきているけど、ありとあらゆるサービスで人手不足になり、医療のサービスも同じようには受けられなくなっていくのではと思っている。

デンマークも同じだけど、日本のほうが高齢化は深刻で、特にわたしの1973年生まれが一番のマスになっているので、高齢者になって一番サービスが乏しくなるのではないかと。

どこへいっても、茨の道かもしれない。。。

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