25年後 | いまのしゅんかん

25年後

今、5つものプロジェクトを並行しているので、滅茶苦茶忙しく、昨日今日とラボに篭りきりである。

コーヒーを入れたサーモとお弁当を持参し、終日実験しまくっている。

 
バウムクーヘンみたい、、と思いながら実験用に切り出し。

持ち運ぶだけでチクチクし、うっかり素手で触ったら、棘が刺さったので、コロナ禍で残っていたマスクを持参し久しぶりにマスクをしながら作業したが、おかげで実験はうまくいった。

 

昨日のお弁当。サバ缶、インゲンのかき揚げ、塩昆布、生野菜という即席弁当。

 

今日はキムチチャーハン。

 

昨日の夜はお稽古。

 
炭点前なので準備と片付けで時間がかかり、しかも久しぶりに着物を着てお稽古したら、途中から苦しくなってしまった。。
週末に山スキーで遠出をし、週明けから仕事もバタバタだったから疲れたのか。
しかしまぁ、おかげで毎日が充実している。
Linkedin上でのメッセージと、個人メール宛に、ある会社からジョブオファーのメッセージが来たのだけど、この時勢ありがたいことである。確かに要件はマッチしているけど、興味ない分野なのでアプライしないけど。
 
ノルウェー在住夫妻に、多くの年配を見て大変そうだなと思うけど、山で出会う年配の人を見ると、歳をとることに希望が見えてくると言っていて、確かに、、、と思った。
もう8年くらい前になるけど、高校の同級生と集まった時に、多くが高校の時が人生で一番楽しかったと言っていて複雑な思いにさせられたのを覚えている。私にとっては、高校の時が人生で最も暗黒時代だったからである。私が若い時は、非力で苦しかった。
歳をとるごとにいろんなスキルをつけてきて、むしろどんどん楽しくなってきている。
 
私が新卒で入った会社が業績悪化で大規模レイオフをするというニュースを見て感慨に耽った。
分野外だったにもかかわらず、一部上場で大企業だからとアプライし、厳しい採用試験を経て内定をもらい入社した。
自分の専門性を生かせることよりも、安定していることを期待して会社を選ぶ愚かな私だった。
どうにも仕事を楽しいと思えず、妊娠と結婚で大阪に引っ越すことになり、25年前に辞めたけれど、あのまま続けていたとしてもどうだったのか。
同じ業界内の別企業に就職した同級生は、長年携わっていた事業が閉鎖し、門外漢の部署に異動させられ嘆いていたが、今や40年と安心して同じところにとどまることがどだい不可能かもしれない。
 
25年前は将来の展望なんて何もなかったけど、まさかこういう今になっているとは、である。