自分を知る
今日、大学でインターンをやっている日本人の人とランチを食べた。
2月からと聞いていたのでいつか声をかけようと思いつつ、ずっと忙殺されていてなかなか気が回らずに今に至ってしまったという。。
仕事もプロジェクトが5つに増え、学会準備もあるし、プライベートでもお茶のお稽古に聖書の会、教会の集まり、アパートの役員仕事があり、たまに娘のこともあったり、、その上冬の間は頻繁にノルウェーに行ってたし、、、今週末の桜祭りの準備でも色々あり、、そしてさらにストックホルムの茶道グループとの交流も始まりそうだし、、、
最初は研究室の話や、彼女も料理で実験するタイプなのでその話をし(なんとハーブで納豆を作る実験をしたらしい。さすが。。)、実は年齢的には一歳しか違わないので、老化の話をしたり。
でも一番印象的だった話は、「自分について知る」話だった。
彼女は私の友達の友達なので、付き合いは浅く、あまり知らなかったのだけど、どうも私とは正反対の性質を持っているらしい。
繊細で、人のちょっとしたセリフや表情にすぐに引っかかり、長く引きずってしまい、ものすごくエネルギーを消耗するのでなんとかしたいと思っているようだ。
なので、「私とは反対だね。私は人の話を聞いてないし、鈍感だからあまり傷つくことはないけど、逆にその性質のせいで損していることもたくさんある。情報もよく取りこぼすから、仕事にも支障が出るくらい。まぁ同僚にも呆れられて陰口も言われてるんじゃないかな。」と言った。
とはいえ、そういう性質を認識するようになったのは実はそんなに前ではない。
同時に、問題であっても、変えることも改善させることもできないことも知ったのだが。
彼女も、自分の繊細な性質を客観的に知るようになったのは45歳を超えてからだという。
性質もそうだけど、色々な能力とかも生まれ持ったもので決まるのかな、とも思ったりする。
例えば私は、小さい時から好奇心も興味もたくさんあって、常に何かに没頭していたけれど、それもすでに持っていたものなのかなと思ったり。その代わり、外からの情報に対して全てを取り入れる集中力もないし、理解力にも乏しかったりするのだが。