聖書の会 | いまのしゅんかん

聖書の会

ノルウェーで遊んでばかりのように見えるかもしれないが、デンマークでも結構バタバタしている。

 

去年の決算報告時期で、会社の年間財政は一昨年よりもだいぶ悪くなってしまい、社長ではないパートナーが解雇された。しかし私はまぁまぁ忙しくて、3つのプロジェクトに、一つクライアント仕事が入るかもしれず、見積もりのための調査と準備をしているのと、あとプロジェクトにはなるかはわからないけど簡単な試験をして先方のフィードバックを待っている。やっとiPadを買ったので、たまりに溜まった文献をダウンロードしてタブレットで読んでいる。

 

それに確定申告の時期なので、昨日年間納税書をチェックしたら、10万円ほどの還付金がもらえることがわかった。税率や株などの利益を全てチェックしたが、何の心当たりもなく、一つ思い当たるとしたら、税務局が予測する年収増加が私にはなかったということになるっぽい。。

多分、このインフレの時勢で年収アップも高めに設定したのだろう。

 

また昨日はアパートの総会があったが、去年と一変して参加者がえらく少なく、あっさりと終わった。今年も共益費をあげるのだけど、去年ほどには関心が持たれていないのか。

事前に我が家で役員会もあり、私たちの間ではすでに話し合いも十分にされていたこともあり。

アパートの前が駐車有料ゾーンに変わるかもしれないのだが、そうしても17時以降は誰もが駐車でき、しかも私たちが負担して看板を立てなければならないので、結局メリットがないのでは、という話にもなった。

 

そして昨日と今日は連続で聖書の会があった。

昨日は日本人とのオンライン会議でローマ書8章を読み、今日は地元教会の集まりでルカの1章のマリアの賛歌について語り合った。

 

ローマ書は、パウロが将来への希望を持って今の苦しみに耐えようというメッセージで、希望と言っても目に見えることではない希望で、それだけに苦しみに耐えるのは難しいねという話になった。

地元教会では、ただの貧しい少女でしかなかったマリアが大きな宿命を引き受けたことの凄さについて話し、私たちもまた一人一人違う役割を引き受けることになるんだろうね、と言い合った。

 

賛歌の聖句を読みながら、マリアは最初は未婚での妊娠に戸惑いながらも、喜びを持って自分の宿命を受け入れるが、私はなかなか不測の妊娠を、自分の人生を一変させる出来事だっただけにそうスムーズに受け入れられなかったなぁと思ったり、また最近は人の個性は努力とかではどうにも変えられないものなのかもしれないと思うようになって、それぞれ引き受けるものも違うのかもしれないなぁと思ったりした。

 

最近、「初恋ざらり」という知的障害者が主人公の漫画を少しだけ読んで、なんとも言えない気持ちになったのと、「努力できない」のではなく、「努力したくない」のでは、という呟きをみて考えさせられたのである。

そういえば、私は努力は嫌いだなぁ、と。でも、勉強は苦ではないというか、むしろ好きだったのであまり学校や仕事で困らなかったし、苦手な育児や語学の勉強は、楽しくなるように工夫することによって、「頑張る」ことを避けてきた。子供なんて嫌いだったから、子供と遊ぶのではなく、自分が遊べばいいじゃん?と、娘と創作にはまったりしてなんとか凌いだ。

でも、楽しみが得られにくく、いろんなことが苦行になってしまう人だったら大変だろうな、と。

 

ちなみに、牧師さんは、最近の子供の対応に困っているらしい。

今は、比較的遅く子供をつくるので、子供とは友達のような関係になる親が多く、それだけに大人に対してリスペクトしない子供が増えているそうだ。堅信式の準備でも、牧師を無視してうるさいのだそう。

ふむ、存在そのものを受け入れ愛するのも弊害になりうるのか。

なので、牧師さんはそれが自分の与えられた課題だと思ってると。

 

私も、不測の妊娠で全てを失い東京を離れ、挙句にデンマークまで来ちゃって永住までして帰化もしてなんという人生かと思ってたけど、これが私の運命なのか。私は私のやるべきことがあって、今こうしているのかなぁと。

楽しい集まりだった。